このシリーズの最初の記事へ

もし、アメリカという国が躁的防衛を用いて何かを喪失体験を感じないようにしてきたのだとしたら、日本はどうでしょう?

昨今のアメリカナイズされた日本の状況を見ると躁的防衛も多々用いられているようにも思えますが、伝統的には精神分析で言うところの「否認」が多用されているように感じられます。

否認をごく簡単に説明すると「現実に起こった出来事にまつわる苦痛な認識や不安の感情に気づかないようにする心の働き」と言うことができると思います。これはまさに3.11後の日本人の振る舞いそのものではないでしょうか。

顕著な例は水俣病

いえ、でも振り返ってみれば、日本人はずっと「現実は見ない」ようにして、被害を受けた人たちを切り捨て、遠ざけ、「自分とは関係のないもの」として苦痛や不安を回避して、ただただ目先の豊かさを求めて走ってきたように思えます。

その顕著な例を挙げるなら、たとえばつい最近、最高裁判決が出た水俣病(1942年発生)に代表される公害問題があります。

水俣病は、有機水銀中毒による神経疾患です。熊本県水俣市にあるチッソの工場から排水された水銀が原因で起きたため、その地名が付いています。簡単に言うと、チッソが流した水銀を含む魚介類を食べた水俣湾付近の人たちが中枢神経障害を起こすメチル水銀中毒になってしまったという事件です。

同様の症状を呈する公害病に、新潟県阿賀野川流域の昭和電工による新潟水俣病があり、イタイイタイ病(富山県)、四日市ぜん息(三重県)とならび、四大公害病と呼ばれるものです。

どれも有名な公害病ですので多くの資料がありますが、たとえば水俣病については、「水俣病センター相思社」などで知ることができます。

遅々として進まぬ救済

公害病の犠牲となった人びとへの救済は遅々として進んできませんでした。

水俣病においては、未認定被害者は約6~7万人とも言われています。今回の判決で新たに認定された方もいらっしゃいますが、認定患者は今年3月現在に申請した3万1354人のうち、2975人にすぎません(沖縄タイムス)。

認定された場合は、原因企業から1800万~1000万円の一時金が支払われますが、当たり前の生活を奪われ、半世紀以上も病気に苦しみ、戦い抜いた末に得られる金額としては驚くほど少額です。公式認定から57年もたち、すでに亡くなった方もおられます。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

また、最近、「3.11後の福島とそっくり」と注目されている事件に、日本初の公害事件と名高い足尾銅山鉱毒事件があります

足尾銅山鉱毒事件は、当時のあらゆる技術の粋を集めて行われていたはずなのに、銅山から鉱毒が流出。排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が渡良瀬川流域を汚染した事件でした。19世紀後半(明治初期)のことです。

農作物や皮の魚などに甚大な被害を出し、最終的に政府は鉱毒を沈殿するため最下流地の谷中村を廃村して、遊水池とする計画を決定しました。

この政府の計画に最後まで村民とともに粘り強く反対した衆議院議員・田中正造の名は、だれもが一度は社会科の教科書等で目にしているはずです。

無視された当事者の声

しかし、最も意見を尊重されるべき当事者の声は無視され、1906年、村は強制的に廃村となりました。明治初期に約2700人いた村民は、集団移住を余儀なくされ、遠くは北海道まで移転した方もおられるそうです

詳しく知りたい方は、『毎日新聞』(2012年9月17日)の記事
田中正造:再び注目される思想 足尾銅山事件と福島原発事故の類似性)を読んでいただきたいと思います。

この記事中で印象的だったのは、国学院大教授の菅井益郎さんのコメントです。菅井さんは「日本は近代化を進めるために、何か問題があっても責任をとらない構造を作り、それが今も続く。鉱毒事件も原発事故も政府は責任をとらず、企業も『国策に沿った』と、責任をとらない。被害を受けるのは弱い立場の人々だ」と指摘しています。

保障を受けられないことはいくらでも

国の発展という名目で、「国策の沿った」やり方が、一般の人びと、立場の弱い人びとに大きな被害をもたらしても、満足のいく保障が受けられないことはいくらでもあります。

たとえば旧日本軍兵士として闘った在日朝鮮人・韓国人・台湾人など、日本国籍を持たない傷痍軍人の方々もそうでした。

1970年代の初め頃までは、手足が無かったり、体に大きな傷を負った傷痍軍人の方々が、街頭で物乞いをしている姿を見かけることもめずらしくありませんでした。(続く…

カウンセリングルーム カウンセリングルーム カウンセリングルーム