2013年04月の一覧

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2013年04月01日

感情を失った時代(9)

 こうした現状を「何も考えていないお役所仕事」「縦割り行政で市民の姿が見えていない」とする批判もあります。でも私の胸には、「本当にそれだけなのか?」という一抹の不安が過ぎります。

 もちろん、「お役所仕事」も「縦割り行政」もあってはいけないことです。被災された方々のことを考えたら、どうしようもないほどに愚かで許されざる行為ではあることも確かです。でも「悪気は無い」という意味において罪は多少軽くなります。
 
 でも、もしそれが確信犯だったら? 意図的に被災者を放置して故郷に近づけないようにし、人口を流出させ、無駄に見える大がかりな事業を行っているのだとしたら・・・どうでしょうか。

ぬぐい去れない不安

 今まで国や行政は、過疎地や自然あふれた土地を狙って、「人口が少ないから」「国有地だから」「誘致すれば経済が潤うから」と、原発や基地を次々とつくってきました。
 また、人が集まりにくい状況をわざとつくっておいて、「人がいないから」と児童館や学校などの公共施設を潰しては、安く企業に転売したりしてきました。

「この同じ手法を被災地でも行おうとしているのではないか?」という不安がどうしてもぬぐい去れないのです。 

 何しろ時代を担っているのは、国際競争力を高めるためには原発再稼働も厭わず、個人経営の第一次産業を犠牲にしてまでもTPP参加を表明し、武器輸出三原則を無視してまで金儲けのために次期戦闘機「F-35」の生産に日本企業を参画させても平気な安倍政権です。

よもや被災地が・・・

 TPP参加後の国際競争で勝ち残っていくため、アメリカ並みの大規模農場や大食品加工場をつくれる広大な土地は安倍政権からすれば、のどから手が出るほど欲しいはずです。また、軍事産業を活性化させ、アメリカとの友好関係を堅固にするためにも軍事関連用地はいくらあっても足りないはずです。
 
 それを得るためになら、きっとどんな資本投下も犠牲も厭わないでしょう。たとえ今は無人の浜でも、将来はそこに巨大な工場や基地がつくられるのだとしたら、どれだけのお金をつぎ込んでも無駄にはならないはずです。

「よもや人がいなくなった被災地が、そうした大企業向けの工場や農地、軍事関連施設としては使われることはないだろうか」と考えるのは、私の妄想であって欲しいと心から願っています。

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2013年04月10日

感情を失った時代(10)

 感情を失い、経済活動だけを追い求める人びとには、故郷を追われ、家族離散し、希望を失う人びとの悲しみは分かりません。生活に困窮し、苦しむ人びとの姿も見えません。

 私たち日本人は3.11で擬似的な体験を含め、多くの喪失体験をしました。
 未だに収束の目処も立たない福島第一原発の事故を目の当たりにし、戦後、日本人を突き動かしてきた「経済発展こそが人を幸せにする」という考えは正しくなかったのではないかという、価値観の揺らぎにも遭遇しました。
 
 つまり、人間の自己を支える基本となる価値観や関係性を失うというとても辛い体験をしたのです。
 
 でも、それは私たちの社会が、戦後手に入れた物質的な豊かさと引き替えに手放してきた大切なもの、ひいては人間らしい生き方ができる社会を取り戻すための大きなチャンスでもありました。

日本が進む方向は・・・

 しかし残念ながら3.11を経た今も、日本は、人間らしい生活から離れた方向へ進もうとしているように見えます。それを如実に表しているのが、経済最優先を掲げるアベノミクスを応援する声です。

 マスコミでは、高級な嗜好品が飛ぶように売れていると報道されています。株価が上昇したとか、年収を上げる企業が出始めたなどのニュースが「明るい話題」として歓迎されています。

 でも、ちょっと考えてみてください。
 株価が上がって本当に儲かるのは、もともと莫大な富を持っている大株主ではないでしょうか。少なくとも私のような庶民の生活にはほとんど影響ありません。もし、多少なりとも余裕ができたとしたら「高級品を買うよりも、老後に回したい」と考えるのは私だけではないと思います。

 雇用期間があらかじめ定められている有期雇用契約で働く人が4人にひとりを超える今、業績好調な企業の年収が上がったことで恩恵を受ける人はいったいどのくらいいるのでしょう。
 しかも今、政府の産業競争力会議(議長・安倍首相)では、正社員より低賃金で解雇しやすく、流動的な働き方を強いられる「準正社員」の雇用を進めることも準備しています。

躁的防衛

 現実を直視せず、喪失したものをちゃんと悲しんだり、辛い出来事に苦しんだり、悩んだりするなどの傷つきや悩みを心から追い出し、「前を向いて生きよう」「自分は元気で強いはず」などと、言い聞かせて苦痛を回避する方策を精神分析では「躁的防衛」と呼びます。

 躁的防衛が状態化した社会では、辛い現実を受け止め、より建設的・創造的な生き方を手に入れるためのプロセスは失われ、「リアルな感情」は軽んじられます。人々は、株式投資や仕事やネット、スポーツやお酒など、一時の高揚や幸福感を与えてくれるものへと耽溺し、「リアルな感情」を感じないよう、防衛するからです。

 こうした防衛は、気休めにはなりますが、根本的な解決にはつながりません。そして人々は、もっと強い娯楽や刺激などの依存対象を必要とするようになり、ますます「リアルな感情」が分からなくなります。

 そんな人間が完全に疎外された社会へとこのまま突き進むのでしょうか。
 3.11で失われた多くの命に報いるためにも、安倍政権が指し示す未来をきちんと見極める必要があります。

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2013年04月25日

BOSTON STRONG(1)

 4月15日(現地時間)にアメリカで起きたボストンマラソンを狙った爆弾テロ事件から1週間後の朝、延期されていたレッドソックスの試合が再開されたというNHKのニュースを見ました。
 番組では、事件でケガをした市民や捜査に当たった警察関係者らが紹介され、人びとが黙祷を捧げていました。

 そんなニュースの中で気になったのは、レッドソックスの相手チームであるロイヤルズも「ボストンは強い」というメッセージを込めた「B STRONG」のマークを胸に付けて試合に臨み、顔に「BOSTON STRONG」などと書いた観衆が映っていたことです。「ボストン市民はこんなことに負けず、前を向いて強く乗り越えようとしている」といった主旨の説明も流れていました。

躁的防衛そのもの

 まだ1週間しか経っていないのに、まだ十分に悲しむことさえもできていないだろうに、「前を向いて乗り越える」「自分たちは強いんだ!」・・・。

 まさに、前回のブログで書いた躁的防衛そのものではありませんか!
 
 ニュースの画面に映るボストン市民の様子から、ずっとアメリカ社会ーー少なくともアメリカのメインの社会は、こうやって悲哀を排除し、喪の心理や不安を心から追い出すことで心の安定を得、何も振り返らずに、ただ前へ前へと進むことを良しとしてきたのだということがリアルに伝わってきました。

 これもまた前回ご紹介した本ですが、精神科医の小此木啓吾氏は『対象喪失 悲しむということ』(中公新書)の中で、こうした心性と全能感について興味深い意見を述べています。

「対象喪失は、どんなに人間があがいても、その対象を再生することができないという、人間の絶対的有限性への直面である。ところが現代社会は、人類のこの有限感覚をわれわれの心から排除してしまった」(196ページ)と言い、代わりにさまざまなテクノロジー等を進歩させることで全能感を満たしてきたというのです。

全能の願望による支配

 そして、それに続く文章は、あらゆるものからの自由を標榜するアメリカの、そしてそんなアメリカを標榜する日本の現代社会を写し取ったかのような内容になっています。

「この動向は、自分にとって苦痛と不安を与える存在は、むしろ積極的に使いすてにし、別の新しい代わりを見つけ出す方が便利だし、実際にそうできるという全能感を人びとにひきおこしている。死んで葬り去れば縁がなくなるし、醜く年老いた者は実社会から排除すればよいし、うまくいかなくなった男女は別れて、それぞれ新しい相手を見つければよい。できることならば、学校や職場も気に入らなければ、自由に変えられる方がよい。住む所、暮らす国さえもそうできればそのほうがよい。少なくとも人びとの幻想の中では、こうした全能の願望がすべての対象とのかかわりを支配しようとしている」(196~197ページ)

 でも皮肉なことに、こうした全能の願望による支配、それにともなう共感能力の欠如こそが、「究極の支配への抵抗」であるテロの温床になっているのではないでしょうか。

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