2013年03月の一覧

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2013年03月08日

感情を失った時代(6)

 精神分析の権威として知られる精神科医の小此木啓吾氏は、1979年に出版した『対象喪失 悲しむということ』(中公新書)の「まえがき」で、「今日、悲しみを知らない世代が誕生している」と、次のように記しています。

「死、病気、退職、受験浪人から失恋、親離れ、子離れ、老いにいたるまで、あらゆる人生の局面で、対象喪失は、大規模におこっているのに、人びとは、悲しみなしにその経験を通り抜けていく。対象喪失経験は、メカニックに物的に処理されてゆく。対象を失った人びとは、悲しむことを知らないために、いたずらに困惑し、不安におびえ、絶望にうちひしがれ、ひいては自己自身までも喪失してしまう」(同書iページ)

自己や感情まで喪失

 小此木氏の本を読み、今回の体罰事件を振り返ると、小此木氏が同書を記してからすでに30年が経過する中で、人びとは本当に自己を喪失し、自己を形成するための感情まで失ってしまったかのように見えます。

 目の前で子どもが叩かれていても「それは勝つために必要なこと」と見なかった振りをし、「辛いよ」と声を上げても「がんばれ!」と励ます。そして、死ぬほどに追い詰められていても「もう嫌だ」と言わせない社会。
「感じることを止め、求められた務めを果たすこと」が、何よりも大切とされる・・・そんな感情を失った世代が築いた社会に、私たちは生きています。

あらゆる場で「感情労働」が求められる

 そして感情を失った世の中だからこそ、今や逆に、あらゆる場で“求められる適切な感情”を演出する「感情労働」が求められます。

「感情労働」という概念は、ホックシールド氏の調査研究『管理される心 感情が商品になるとき』によって知られるようになったものです。

 最近、エッセイストの岸本裕紀子氏は『感情労働シンドローム 体より、気持ちが疲れていませんか?』(PHP新書)という書を著し、その中で「仕事をするなかで、苦痛を感じたり、怒りをかきたてられたり、虚しさにとらわれたり、違和感を覚えたり、不安感が頭から離れなかったりしても、そういった自分の感情をうまくコントロールして、感じよく接し、相手のプラスの感情を引き出すようにする」(3ページ)ことが感情労働であると、営業職という身近な例を挙げてこう説明しています。

「新規開拓のため連日、足を棒にして何十軒と訪問しても、一件も契約が取れない。そうしたなか、丁寧に説明している途中で、バタンとドアを閉められたとします。『いくらなんでも失礼だろう』というショックや怒り、『はたしてこの商品は相手の役に立つのか』という疑問、『自分はいつまで不毛な戦いのようなこの仕事をつづけるのだろう』という虚しさや不安。
 そういった感情を抑えて、前向きに、さわやかに次の訪問先に向かう・・・。」(4ページ)

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2013年03月15日

感情を失った時代(7)

 岸本裕紀子氏の挙げた例のように、相手を不愉快にさせず、いつでもポジティブで明るい雰囲気を提供する「感情労働」。それを行う対象は、客やクライアントだけではありません。職場の上司であったり、部下であったり、同僚であったりします。

 もっと言えば、それは仕事をしている人だけの話ではありません。一昔前、子どもたちの間ではやった「KY」という言葉が象徴するように、学校や幼い頃からの友人関係でも必要とされています。

「感情労働」が要求される場では、あるシチュエーションの中で、当然、人間が抱く「リアルな感情」の存在は許されません。
 いえ、「リアルな感情を持つ人間」であることが許されないと言った方がいいかもしれません。

まるでロボット

 何があっても笑顔で、期待されるよう振る舞い、求められるままにやるべきことをこなす・・・
 まるで職務遂行をプログラミングされたロボットのようです。

 ロボットは、何があっても怒ったり、悲しんだりしません。その代わりに、他者の痛みに共感し、他者の辛さを自分のものとして共に痛むこともありません。悲しむことができないのですから、当たり前のことです。

「リアルな感情」を排除した「感情労働」を常とする社会で生きざるを得ない私たちは、その職務に徹するため、極力、心を動かすものを見ないようにしてきたことでしょう。もし、心が動いてしまえば、その世界で生きることが危うくなってしまうからです。

 そして「感情を動かさない」よう訓練を続けた結果、いつの間にか本当に感情を失ってしまったのではないでしょうか。

 そうなってしまえば、たとえ目の前でだれかが殴られても平気です。辛い思いをしている人がいても、その存在を見ない、考えないようにすることができます。

 そんな人びとの心性を小此木啓吾氏は次のように述べています。

「自分に心的な苦痛や不快を与える身近な人の苦しみや悲しみにかかわることには辛くて耐えられないと言えば、それは現代人のやさしさのように受け取れるが、このやさしさは、汚れ、醜さ、不快、悲しみを感じさせるものは、できるだけ眼前から排除し、遠ざけておきたい冷たさとひとつである。そしてこの心理的傾向は、いつの間にかわれわれ現代人のだれもを支配する心性になってしまった」(『対象喪失 悲しむといいうこと』195ページ)

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2013年03月26日

感情を失った時代(8)

 感情を失った人びとが、この日本社会を席巻していることは昨今の政治状況や政策を見ていても明らかです。

 そうでなければ、放射線によって少なくとも今後4年は帰還できない住民が約5万4千人にも上るというのに(『朝日新聞』3月10日)、平気で原発再稼働などと言えるはずがありません。

 住居さえ確保できず、先の見えない生活を送る人びとへの手当を後回しにして、老朽化した道路や橋の再築・修復、学校の耐震補強などを進められるはずがありません。

被災者の生活は置き去り

「経済成長最優先」と言ってはばからない安倍政権下では、公共事業や防衛費に多額の予算が付く一方、東日本大震災で被災した人びとの生活を支えるために制定されたはずの「子ども・被災者支援法」にはまったく予算が付かず、その基本方針さえ示されないままです。
 
 東日本大震災被災者の住宅再建事業も進まず、宮城県では2015年度末になっても計画の約7割しか公営住宅を確保できない見通しで、原発事故による避難区域のある福島では必要な戸数さえも整理できないままで整備計画すら示せずにいます(『東京新聞』3月10日)。

人口流出が深刻化

 大企業が請け負う事業には大きく予算が付く一方で、被災した中小企業を支援する「中小企業グループ補助事業」の予算は昨年度当初の半額である250億円に減らされました(『東京新聞』2013年2月10日)。
 これでは地元企業の再建は進まず、農業や漁業もダメージを受けたまま。雇用不安が深刻化するばかりです。

 菅直人元首相の肝いりで2010年4月にスタートした復興構想会議も、中間提言を出したものの同年11月には解散となり、被災地の復旧・復興は進まず、元の地域での再建を諦めて他の場所へと移転する人口流出が深刻な課題になっているとも言います(自治体の人口流出 危機が現実に)。

無人の浜に巨大防潮堤

 そんな状況なのに、宮城県石巻市白浜地区の無人の浜には、建設費約45億円を投じて高さ8.4メートルの大防潮堤が1.3キロにわたる建設が予定されているといいます。

 この防波堤を取り上げた『東京新聞』(2013年3月7日)の記事では、地元の自営業の男性が「住宅地を守るためならともかく、誰も住まないような空き地に、なぜ巨大な防波堤を作る必要があるのか。何十億円もかけてコンクリートの壁を築く意味が分からない」と憤る声を取り上げています。

 また、この男性は、昨年5月に環境省が被災した沿岸部の国立公園や国定公園などを再編して三陸海岸一帯を国立公園化するという「三陸復興国立公園」(仮称)構想について、「巨大コンクリートで海も見えない国立公園なんてバカみたいだ」とも語っています。

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