2012年10月の一覧

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2012年10月01日

『平気でうそをつく人たち』(2)

「たとえどれほど極悪非道な悪事を働いた犯罪者だとしても、その人がそのような人間にしか育つことができなかった悲しみや辛さを忘れるべきではない」

 私はずっと、そんなふうに考えてきました。もちろん、今でもそのように思っています。
その人の犯した罪は、もちろん責任を問われるべきことですが、その人が罪を犯すような人間にしか成長できなかった責任までをその人に負わせることはできないのですから・・・。

やっぱり邪悪な人はいる?

 ところが最近、そんなふうに考えられなくなることがたびたびあります。M・スコット・ペックが言うように、「邪悪と言わざるを得ない人は確かにいるのではないか」との思いが、よく頭を過ぎるのです。

 そう私に思わせる代表格は、なんと言っても野田佳彦首相です。

 もちろん民主党が世間で言われているようなリベラルな政党ではないことは、与党になる前から百も承知でした。

 「国民の生活が一番」「チルドレン・ファースト(子どもが一番)」などの耳障りのいいキャッチフレーズで、子育て世代をあたかも応援するようなふりをしてはじめた子ども手当や高等教育の無償化も、実は福祉の色合いを削り落とし、格差を固定するための装置に過ぎません。

 実際には、子育て・教育分野への企業参入を促してサービスを家庭の経済事情に応じて買わせるための施策でしかなかったのです(詳しくは「新政権によって子ども施策はどう変わる」や「真夏の怪(5)」等をご覧ください)。

民主党の本性

 民主党が子どもや国民のことなどまったく考えていない政党であることは、教育基本法「改正」(2006年)前に民主党がまとめた日本国教育基本法案を読めばよく分かります。

 ときに子ども観・教育観は、その人(党)の本性や価値観を驚くほどリアルに現してくれます。

 民主党の日本国教育基本法案からは、自己決定・自己責任によって積極的な消費活動を行い、競争・格差社会を受け入れてがんばり、分に応じて自らの能力を財界(国)に捧げることを厭わない市民を育てようという意図が、びっくりするほどよく見えました。

 まちがってもひとりひとりの子ども、子どもがすくすくと育つことができるような家庭・・・ひいてはおとなも幸せにいきられるような社会をつくろうとしていないことは明確でした。

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2012年10月11日

『平気でうそをつく人たち』(3)

 そうした真実はあったとしても、「チルドレン・ファースト(子どもが一番)」と言い続け、その実現に向けた施策として公約に掲げたものを守り続けることは大切だったはずです。

 前回のブログで述べたように、子ども手当に象徴される「お金を配って、保護者それぞれの経済力に応じたサービスを買わせる」という民主党の各子ども施策は、実際には子どもを福祉から遠ざけるものではありますが、民主党らしい子ども観・子育て観を映しだした政策であったことは確かです。

目玉の子ども施策の転換

 ところが野田首相は、民主党の目玉だった2つの子ども施策をいとも簡単に撤回してしまいました。

 そのひとつが保育(子育て)改革「子ども・子育て新システム」(「新システム」)の中核を担う「総合こども園」の創設撤回です。まずはこれが自民公明両党が言う「『認定こども園』の拡充」になりました。

 もうひとつは、「子ども手当」が自公政権時代の「児童手当」に戻ったことです。
「児童手当」と「子ども手当」との大きな違いは、所得制限が復活したことです。たとえば夫婦のどちらかが働いていて、子どもが2人いる世帯の場合、年収960万円以上だと手当は出ません。
 高所得世帯には“当面”子ども一人につき一律5000円が支給されることになります。

国民を欺く人

 念を押しておきますが、私は民主党の言うような「総合こども園」も、「新システム」も、「子ども手当」も、まったく歓迎などしていません。
 ただ子どもの成長・発達を支える子育ての根幹を担うものであり、その党の理念を体現するものである大事な施策が、こんなにも簡単に転換されてしまったことに驚いているのです。

 しかもこれらの施策の転換は、消費税増税法案を通すための取り引きの材料に使われました。経済界の望む消費税の引き上げを何よりも優先したい民主党は、自公両党に消費税増税法案の可決に協力してもらうため、目玉であった子ども施策を手放したのです。

 それだけでも十分驚くに値することですが、その後、民主党は時期衆議院選挙のマニフェスト(素案)に「『児童手当』の5割増」を盛り込むという、ビックリすることをやってのけました。

 こんなふうに、言質を弄して国民を欺く人を「平気でうそをつく人たち」と呼ばずして、なんと呼んだらいいのでしょうか。

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2012年10月19日

『平気でうそをつく人たち』(4)

 そしてエネルギー政策や復興対策予算の使い方をめぐっても、民主党率いる政府の不誠実さ、その厚顔無恥ぶりが浮き彫りになりました。

「30年代の原発稼働ゼロ」の理想を掲げ、原発の新増設を認めない方針を打ち出しながら、従来通り核燃料サイクルなどを維持。使用積み核燃料を加工したプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を全炉心で使用する、「世界初のフルMOX原発」である大間原発(青森県)の建設も再開されました。

「すでに着工されていた大間原発などは、現行法令上、(設置許可を)途中で取り消す制度はない」というのが枝野幸男経済産業大臣の言い分です(『東京新聞』2012年10月5日)。
 その姿勢に、原発推進、脱原発派双方から批判が噴出しています。

復興予算の使い道では

 復興予算では、生活と命を支えるために必要なお金が被災地に届いていない一方で、だれが見てもとうてい復興予算とは認められない事業に、多額の予算が回っていました。

 たとえば反対捕鯨団体の妨害対策(農林水産省)や、刑務所で訓練用の建設機械の整備(法務省)、沖縄の国道整備(国土交通省)、企業の国内での立地推進、整備投資の補助(経済産業省)ほか・・・まだあります。

 こんな無駄なお金を使いながら、東日本大震災で被災した中小企業6割の補助金交付の申請が「国の予算が足りない」として却下されていました。
 腹が立つのを通り越して「開いた口が塞がらない」とはこういうことを指すのでしょう。

なぜ「火事場泥棒」が横行?

 なぜ文字通りの「火事場泥棒」が横行してしまったのでしょうか。

「そのカラクリを解く鍵は、政府の復興基本方針に仕込まれた二つの文言にある」と、『東京新聞』(2012年10月8日)は次のようなことを書いています。
 まずひとつめは、「日本経済の再生無くして被災地の真の復興はない」。もうひとつは、この考えの下に「被災地と一体不可分として緊急に実施すべき施策」の実行を認めたことです。

 こうした「日本経済の再生」という考え方は政治サイドの要求で、東日本大震災復興基本法に盛り込まれたとされています。

 いずれも、野田首相率いる民主党が何を大切にし、何を軽んじているのかがよく分かる事実です。

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2012年10月29日

『平気でうそをつく人たち』(5)

 ここまで二枚舌ではないにしても、うそをついてきたのは現政権だけではありません。

 たとえば、このブログでも何度かとりあげた「ゆとり教育」(詳しくは「本音とたてまえ、オモテとウラ」参照)の変遷を思い出してください。

ほんの10年で「脱ゆとり教育」へ

 2012年度から実施された新学習指導要領に基づく「脱ゆとり教育」が話題になったのは耳に新しいことでしょう。

 この新学習指導要領によって授業時間全体が3~6%、2009年度から前倒しで実施している理数系では約15%増加になりました。

 でも、考えてみれば「ゆとり教育」が完全実施されたのは、今からわずか10年前の2002年です。義務教育期間とほとんど変わらないほんの10年間で、その中身や実態が検証されることもなく、何がもたらされたのかを省みることもなく、「ゆとり教育」は終わりました。

「ゆとり教育」の“たてまえ”

 「ゆとり教育」の“たてまえ”は、「それまでの知識重視で詰め込み式の教育を改め、経験を重視し、考える力を付けさせる教育を行う」というものでした。
 だから「脱ゆとり教育」になったとき、「『ゆとり教育』の理念は良かったが、うまく機能しなかった」などとの発言をたびたび耳にしました。

 しかし、それはあまりにも現実が見えていないか、うそつきかの発言に聞こえてしまいます。

 なぜならこの10年間を振り返ってみれば、「ゆとり教育」は競争主義的な教育体制は残しつつ、教科書を薄くし、授業時間を減らし、「分かるまで教える」教育から「その子なりに理解できるように」教育へと転換し、教育に市場原理を持ち込む方便の転換に過ぎなかったからです。

 簡単に言えば、受験競争に勝ち抜くために学ぶべき内容は変わらないのに、学校で教える時間や内容を薄くし、質を落としたのが「ゆとり教育」だったのです。

「教育格差」が顕著に

 だから「ゆとり教育」になった後、学校以外の場で勉強を補うことが出来る子とそうでない子の間で学力が二極化し、全体の学力も低下しました。

 そして近年、よく言われている「教育格差」が顕著になりました。学校で学ぶだけでは受験競争に勝ち残れないため、学習塾などにお金を使える比較的裕福な家の子とそうでない家の子の差が明らかになってきたのです。

 さらに言えば、高い教育を受けられなければ、安定した収入が得られる職業に就ける確率も低くなります。最近では「教育格差」によって「貧困が連鎖」し、経済格差が世代を超えて固定されることが心配されています。

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