2012年08月の一覧

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2012年08月06日

歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(4)

 このKくんの事件後、「いじめ撲滅キャンペーン」が再燃したのは「生まれかわったらディープインパクトの子どもで最強になりたい」との言葉を残して福岡県筑前町の中学2年生の男子生徒(13歳)が自殺した2006年でした。

 今回と同様、そのときもこの男子生徒の自殺を受け、その前後に起きていたいじめ自殺についても大きく報道されました。

 そして、こうした動きに触発されたように、いじめを苦にしての自殺を予告する手紙が東京都豊島区の消印で届くと、伊吹文明文部科学大臣(当時)や東京都教育委員会の中村正彦教育長(当時)も、アピール等を出し、「決して死なないように」と励ましました。
 アピールの詳しい内容を知りたい方は、「いじめ自殺(1)~(3)」の回を読んでください。

命を賭けたメッセージなのに

 こうやって何年かに一度、いじめ自殺は大きく取りざたされるものの、いじめが無くなることはありませんでした。

 インターネットや携帯電話の普及によって「学校裏サイト」を使うなど、仮想世界でのいじめが増え、実態が分かりにくくなってはいきましたが、教員の方々に尋ねると「実感としていじめは増えている」と答える方が大多数でした。

 つまり、ここ数十年の間に繰り返されてきた「いじめ撲滅キャンペーン」はなんら功を奏することはなく、いじめは水面下で着実に増えていったということです。

 非常に残念かつ申しわけないことですが、私たちおとなは、Kくんをはじめとするいじめられた子どもたちが、命を賭けて訴えたメッセージをきちんと受け止め、それを活かした対策を取ることはできていなかったわけです。

同じ轍を踏みそうな予感

 また今回も、同じ轍を踏みそうな予感がします。

 報道を見る限り、大津いじめ事件に対する社会(おとな)の関心は、学校や教育委員会の隠蔽体質や無責任体制や加害者の責任追及、学校現場への政治・警察の介入の必要性に向けられています。
 過去のいじめ自殺事件のときと同じです。

 平野博文文部科学大臣は、「文部科学省が直接調査することもあり得る」として政治主導で取り組む方針を明らかにしました。大津市長の発言を皮切りに「教育委員会制度の抜本的見直し」が叫ばれ、警察と連携していじめを「犯罪」として取り締まり、いじめっ子には罰を与えるべきだという意見が正論として大手を振っています。

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2012年08月14日

歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(5)

 いえ、過去のいじめ事件のときよりもひどいかもしれません。

 これは私の印象に過ぎないのですが、今回の事件が「教育委員会解体論」に吸収されていくように思えるのです。
 
 今の教育委員会の在り方が良いとか、悪いとかの議論はまたの機会にして、「なぜ解体論に結びつきそうなのか」だけを述べたいと思います。

ひとつめの理由

 理由はふたつあります。ひとつは、この事件をメディアが最も頻繁に取り上げていたのと同時期に、やたらと教員の不祥事が報道されていることです。
 興味のある方は、Yahooニュースの「教員の不祥事」を見てください。
 5月以降しか載っていませんが、7月中旬からの報道件数が以上に伸びています。

 もちろん、大津いじめ自殺事件によって学校や教育委員会がバッシングされていた時期ですので、単純に関連する報道が増えただけなのかもしれません。しかし、タイミング的に「このまま教育委員会に教育を任せておいたら大変なことになる」というムードを高めることも事実です。

報道を利用?

 そして以前、このブログの「子どもが危ない」でも書いたように、権力を持った人々がある法律をつくりたいとか、社会体制を変えたいと思っているとき、こうして報道を利用し、国民の心理操作を行うことはめずらしくありません。

 たとえば、監視社会をつくるために「子どもが狙われる事件が増えている」と国民の不安感を煽ったり、組織的犯罪対法や(盗聴法)、住民基本台帳法一部改正(国民総背番号制の導入)などを成立させるため、メディアが使われてきたという事実があります(子どもが危ない(5/6))。

 だから今回も、「何か意図的な操作が働いているのではないか」と勘ぐりたくなってしまいます。

大津市長の発言をセコンド

 もうひとつは、前回のブログで紹介した大津市長の「教育委員会制度の抜本的見直しが必要」との発言を受け、「待ってました!」とばかりに、かねてより「教育(内容)は政治家主導で行われるべき」と主張していた人々がすかさずセコンドしたことです。

その代表格は橋下徹大阪市長でしょう。

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2012年08月29日

歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(6)

 橋下大阪市長は、知事時代からずっと「教育委員会はいらない」「教育は政治家主導で行われるべき」と主張してきた人です。

 それを実現するための手段も選びませんでした。

 多くの問題をはらみつつ43年ぶりに復活した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)も利用されました。この制度を使って、橋下氏がどんなふうに教育委員会を脅し、無力化したのかについては、『暴力の裏に隠された意味(2)』をご覧いただきたいと思うのですが、これを契機に教育委員会は、なし崩し的に橋下氏に従うようになっていきます。

暴君は一気に力を持つ

 その教育委員会の様子は、いじめを受けたり、暴力を受けたりした者が、力を奪われ、どんな理不尽なことにも従い、いっさい抵抗できなくなるのと似ていました。橋下氏の言動にうろたえ、怯え、プライドを売り渡していってしまったのです。

 腰の座らない教育委員会を見ていた周囲(一般市民)の多くは、橋下氏の狡猾さに目をくらまされると同時に、おどおどとした教育委員会に嫌気が差し、橋下氏の論調に引っ張られていきました。

こうして相手が抵抗する気持ちを失い周囲がそれを黙認すると、暴君は一気に力を拡大します。

管理統制がマネジメント?

 今年、大阪府では、知事が教育目標を設定できたり、教育委員を罷免できたり、教員を「評価」の名の下で自由自在にコントロールできたりする教育関連条例が次々と成立しました。(大阪府議会、教育・職員条例が成立 4月1日施行へ

 どれも成立した大阪「君が代条例」に続く、橋下氏肝いりの教育管理統制条例です。これらの条例ができたことによって、教員は校長の、校長は教育委員会の、教育委員会は首長の命令に従わざるを得なくなりました。
 もちろん、何を命じるかは、すべて首長の考え・気持ち次第です。

 橋下氏はこうした首長の独裁体制を「指揮命令系統が機能し、組織が決めたルールに従うようマネジメントできている状態」と呼び、「選挙で選ばれた首長の命は民意である」と言ってはばかりません。

 条例によって、現場の教員は目の前の子どもひとりひとりの思いや願いを受け止めるよりも、上の人間の命に従うことを優先せざるを得ず、結果として子どもは成長・発達のための大切な基盤を失ってしまいますが、そんなことはおかまい無しです。

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