2012年07月の一覧

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2012年07月09日

歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(1)

「歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた」・・・心的外傷(PTSD)の研究で有名なアメリカの精神科医であるジュディス・L・ハーマン氏の名著『心的外傷と回復』(みすず書房)第1章のタイトルです。

 ハーマン氏は、抑圧した辛い記憶が不合理な身体症状や現実感の欠如または記憶の障害(ヒステリー症状)の研究、戦争体験による外傷、女性の性的外傷の研究が、活発に行われたかと思うと、あまりにも激しく忘却されてしまう時期があることを示し、「なぜ忘却されてしまうのか」をここで書いています。

心的外傷が忘れられがちなわけ

 この章に記されている心的外傷が忘却されがちな理由をごくごく簡単にまとめると次のようになります。

「①心的外傷に関する内容は身の毛もよだつ恐ろしい事件であり、その証言者として目をそらさずに見つめ続けることが難く、②また、加害者は圧倒的に強いため、世論を見方に付ける術に長け、被害者の声はかき消されてしまう。③さらに、そこで取り扱われるテーマはきわめて激しい論争を巻き起こすため、『見るもけがらわしいもの』と周囲の人々には見えてしまい、第三者は忘れたいと願ってしまうのだ」

 平たく言えば、「人は辛くなってしまう出来事をできるだけ見ないようとし、なるべく早く忘れようとする習性を持っている。そして、加害者は強く狡猾なため、よほどしっかりと目を見開いていない限り、人は被害者よりも加害者側の味方になりがちなものなのだ」ということでしょうか。

『少年と自転車』

 第64回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した『少年と自転車』というベルギー映画があります。

 映画の中心人物は、もうすぐ12歳になる少年・シリル。シリルは、自分を児童養護施設へ預けたまま行方が分からなくなった父親と「一緒に暮らしたい」と、父親を探します。

 そんなシリルとひょんなことから出会った美容師のサマンサは、シリルが「父親が買ってくれた自転車だ」と言う自転車を探し出し、現在の持ち主から買い取ってくれます。
 そして、サマンサはシリルの週末だけの里親を引き受け、一緒に父親の行方を探し、とうとう父親の家を見つけます。ところが、再会を果たした父親は「もう来るな」と、扉を閉じてしまうのです。

 その後、サマンサは今まで以上にシリルと向き合い、愛情を注ぐようになります。
 でも、父親からの拒絶という深い傷を負ったシリルの心はそう簡単には癒えません。さまざまな障害がふたりを待ち構えています。

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2012年07月17日

歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(2)

「どんな障害が待っているのか?」と、気になる方はぜひ映画を観ていただけたら、と思います。
 ここでは私がなぜ映画『少年と自転車』に興味を持ったかをお話します。
 
 それは、脚本と監督を手がけたジャン・ピエール氏とリュック・ダルデンヌ氏の記者会見の模様を偶然、テレビで見たからです。

映画制作のきっかけ

 たまたまつけた番組で、チラッと見ただけですので正確な文言ではありませんが、兄弟であるふたりの監督は、『少年と自転車』制作のきっかけについて次のような趣旨のことを話していました。

「以前、来日したとき、ある弁護士から児童養護施設に預けられた子どもの話を聞きました。その子は、『迎えに来る』と約束した父親を屋根に乗ってずっと待っていた。でも、父親が迎えに来ることは無く、その子はやがて父親を待つことを止め、暴力の世界へと入っていったのです。『親に捨てられる』というこの上なく大きな暴力を振るわれた子が、暴力を振るう人間になるのは当たり前なことですし、父親のような存在である年上の非行少年に『認められたい』という気持ちも分かります。でも、その子の生い立ちに興味はありません。『どうしたら暴力の連鎖を止められるのか』を考えたのです」

 映画のダイジェスト版が流れ、監督の上記のような発言を聴いたテレビのコメンテーターらは、「深いですね」と、口々に感心したようにつぶやいていました。

忘れっぽいのはなぜ?

 だけど不思議に思うのです。

 「映画の話」であれば、「暴力を受けた子どもが暴力を振るう人間になること」を抵抗なく受け止められるのに、現実の少年事件に対しては、どうしてそう思えなくなってしまうのでしょうか。

 「映画の話」であれば、「暴力を止められるのは、その暴力を封じ込めるための暴力などではなく、暴力を振るわざるを得ないその子の悲しみに共感し、その存在を受け止め、常に寄り添ってくれる“だれか”なのだ」と、すんなりと入っていくのに、現実の非行少年に対しては厳罰化によって対処しようとするのでしょうか。

 現実の世界では、親に捨てられたり、親に存在を無視されるという心的外傷ともなる仕打ちを受けた子どもに対して、その子の辛さや切なさに寄り添うのではなく、「頼る人間はいないのだから、少しでも早く自分の足で立て!」と尻を叩くのでしょうか。

 感動した映画を現実の世界に当てはめられないほど、なぜに私たちは忘れっぽいのでしょうか?

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2012年07月27日

歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(3)

 今まさに、私たちの忘れっぽさを象徴する事件が世の話題をさらっています。
「大津いじめ事件」です。

 報道では、いじめた少年たちを厳罰に処せとの意見が日を追うごとに増え、さらには「いじめた側の少年への出席停止」の活用が「10年間に全国で23件しかなかった」と言い放つ記事も見られます(いじめた側出席停止、10年で23件)。

真の加害者の狡猾ぶり

 そこには、「加害少年はなによりもまず被害少年である」という視点も、「なぜいじめられた子どもがそれを周囲に告げることができないのか」という、いじめを無くすための根本的な議論もありません。

 いつも通り、あらゆる責任をいじめた少年たちに押しつけ、他者をいじめざるを得ないところに追い込んだ本当の加害者(社会やおとな)の責任は棚上げです。

 ハーマンの言うとおり、真の加害者のその狡猾ぶり、厚顔無恥ぶりにはあきれるしかありません。

94年のいじめ自殺事件でも

 同じ状況はいじめ自殺が話題になるたびに繰り返されてきました。次第に加害少年へのバッシング、厳罰の適用という意見を強めながら。そして、いつの間に忘れられ、根源的な問題は温存されてきました。

 今から18年前の1994年には愛知県の中学生(当時13歳)だったKくんが、いじめられていた事実を記した遺書を残して自殺しました(悲劇いつまで 18年前に息子失った愛知の大河内さん)。

 そのときも、政治家や各メディアは、いじめのむごさといじめっ子の極悪非道ぶりをことさらに協調し、いじめっ子の責任を追及しました。

 Kくんの自殺後に開かれたいじめ緊急閣僚会議や文部省(当時)いじめ緊急対策専門家会議などでは、「すべていじめる側が悪い。傍観者であるということは、そのことですでにいじめているのと同じだ。どんなことがあっておいじめは絶対に許されないということを分からせるためにも、いじめっ子たちを見つけ出し、その責任を追及し、厳罰に処さなければならない」といった主旨の認識と対策が提唱されました。

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