2012年06月の一覧

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2012年06月06日

福祉から遠い国(6)

 何しろその後、自民党議員が求めた「生活保護費10%カット」に対し、小宮山洋子厚労相が「自民党の提案も参考にして検討したい」「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課したい」などの見解を示し、いつの間にか「不正受給をどう減らすか」ではなく、「いかに生活保護受給を減らすか」という議論にすり替わってしまいました。

 長年、社会保障費を削りたくて仕方なかった政府と、浮いたお金を経済成長に振り分けて欲しかった財界が願ってもない状況が生まれたのです。

生活困窮者を追い詰めることに

 受給すべき人が受給できず、餓死や貧困が生まれている社会の中で、こうした議論が盛んになるということは、今よりももっと生活困窮者を福祉の窓口から遠ざけ、追い詰めることになります。

 事実、生活保護の相談を受け付ける団体には、河本さんの一件以来、「生活保護の相談に行きにくくなった」などの電話が急増(河本事件以降 生活保護「相談しにくくなった」という電話増加)。
 
 私がかかわっているある相談機関でも「自分も生活保護を打ち切られてしまうのではないか」「生活保護を受けるということはいけないことなのか」などの問い合わせが殺到していました。

心情的な理由はどの程度認められるのか

「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課す」という話も捨ててはおけません。経済的な理由ではない、心情的な理由がどの程度、認められるのかとても危ういと思うからです。

 今までさえ、子ども時代に虐待を受け、親と縁を切って暮らしている方が生活保護を受けようとしたら「『親に連絡しないですぐに生活保護受給なんてことにはならない』と言われ、受給を諦めました」などという話がありました。

 虐待以外にもDV、離婚、財産争いなど、さまざまな理由で「親族ではあるけれど、親(または子や兄弟)と関係性はほとんどない」方々を、私はたくさん知っています。

 経済的には余裕があるけれど、気持ちの上で、親や兄弟、子どもを受け入れられない人はいっぱいいます。
 逆に、裕福な両親や子どもがいても、「両親(子)の世話だけにはなりたくない」と、切り詰めた生活を送っている人もいます。

 そこには、簡単には語り尽くせない、他人には分からない、“親族だからこそ”の、長い年月をかけた葛藤があるのです。

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2012年06月19日

福祉から遠い国(7)

 想像してみてください。

 たとえば、幼い自分を置いて家を出て行き、その後、一度も会ったことのなかった母親を、ある日突然「扶養義務があるから引き取りなさい」と言われたら、あなたはできるでしょうか。
 
 虐待され、逃げるように父親から逃れたあなたが「父親の面倒をみろ」と言われたら、すんなりと納得できるでしょうか。

 その逆もあります。
 離婚した配偶者と共に家を出て、長年音信不通だった我が子が「生活に困っているから」と連絡して来たら、あなたはいくつもの思い出を分かち合って来た子どもと同じように深い愛情を持って受け入れることができるでしょうか。

関係性の無かった人は「存在しない人」

 人には、その人が長い間紡いで来た人生の結晶である「今の生活」があり、その人をかたちづくっている「人間関係」があります。

 そうした生活やその関係性の中に、まったく存在しなかった人間をただ「血が繋がっているから」と受け入れることは多くの場合、かなり難しいと思います。
 そうすることによって、今の生活や大切にしてきた人との関係が壊れてしまうことだってありえます。

 もちろん、受け入れられる人もいることでしょう。人並み外れた人間性や能力、経済力などがあれば可能かもしれません。

 でも、少なくとも私のような凡人にはとうていムリです。長い間、関係性が無かった人とは「存在しない人」と同じことなのですから。

新たな悲劇を生む前に
 
「血が繋がっているから」と、ずっと関わりのなかった親族までを扶養するようになれば、新たな虐待や家族崩壊を招くことは火を見るよりも明らかです。

 そんな新たな悲劇を生む前に、生活保護が増え続ける原因の方を取り除くべきだと思います。
 今、必要なのは「生活に困窮した人」から生活保護を取り上げることではありません。
「巨額の富を手にする一部の人」だけに、利益が分配されている社会構造をつくりかえることです。

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2012年06月27日

福祉から遠い国(8)

 もちろん、「もらえるものはもらっておかなければ損」と、生活保護にあぐらをかいている人がいるのも分かっています。

 「親と縁を切りたい」「配偶者に心を入れ替えて欲しい」などと訴えてくるクライアントさんの周辺に、そういった考えの持ち主がいることも、ままあります。
 中には、ほんとうは働けるのに生活保護をもらったうえ、子どもや配偶者などからお金を吸い上げて遊び暮らしている人もいます。

 こうした行為自体は、決して許されることではありませんし、きちんと是正されてしかるべきです。

人はみな「よりよく生きたい」と願うもの

 でも、そこで考えずにいられないのです。
 彼・彼女らが、「なぜ働く(必ずしも「お金を稼ぐ」行為だけを指しているわけではありません)意欲や、自分のエネルギーを他者に分け与えるという喜びを持てない人になってしまったのか」と・・・。

 以前、このブログ(『希望の革命参照』)で紹介した心理学者であるE.フロムがいくつもの著書で述べているように、人間はみな「よりよく生きる」ことを願うものです。
 だれかの役に立ち、だれかに感謝され、社会の一員として誇りを持って生きていきたいと思わずにはいられない存在です。人間というのは、尊厳を持ち、自分の力を他者や他人のために使い、自己実現に向かって生きていくことを望む生き物なのです。

 それなのに、なぜそれができない人がいるのでしょうか。

生活保護という代償

 自己実現の研究で知られる心理学者マズローは言いました。「人が何かを達成し、成長したいという欲求(自己実現欲求)を持つためには、まず生命や身体が保障されることが必要で、さらには愛情や承認の欲求が満たされなければならない」と。

 彼らの研究を踏まえれば、生命身体の維持という基本的な欲求さえ危ぶまれる社会で、安全感を持てず、承認欲求も満たされないままおとなになった人の悲しみや恨みが横たわっているような気がしてなりません。

 親に愛してもらえず、社会に受け入れてもらった感覚も持てなかった人が、その代償を生活保護というかたちでもらわずにはいられない・・・そんな気がしてならないのです。

 たとえお金が無くとも餓死などしないですむ社会。だれもが「自分は価値があるんだ」と安心して生き、自己実現に向かって生きていける社会にならない限り、生活保護を必要とする人は増え続けるのではないでしょうか。

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