2012年02月の一覧

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2012年02月06日

「絆」って何?(4)

 本当の意味で自然を守る心を育て、環境破壊を止められる人間になるためには、実際に自然に触れ、その厳しさや大らかさを実感した上で、「なぜ、そしてだれが、この自然を破壊してきたのか」を知る必要があります。

 平気で汚染物質を自然の中に垂れ流して利潤追求してきた(いる)人々が今もいること、国もそれを後押しする政策を取り続けてきた(いる)ことを学ばなければなりませんし、真に地球の環境を守りたいのなら、「環境に優しい」製品開発のためにどれだけの自然が壊されてきたのかを理解する必要があるのです。

スローガンだけでは変わらない

 たとえば私たちは、「自分の食べている食物が、どこでどのようにして育てられ、加工されているのか」とか「食卓に届くまでの間に、どれだけの搾取や命を無駄にする行為があったのか、それともなかったのか」などをきちんと分かっているでしょうか。

 たとえば「地球を救う」としてマングローブの植林を続ける企業が、その影で自然を犠牲にして利潤追求に励んでいたり、CO2排出権までも金儲けの道具にしている現実と真摯に向き合っているでしょうか。

 ただ「自然を守ろう!」「地球を救おう!」というスローガンに同調することは簡単です。

 しかし、自分の生活や日常などの足元を直視しながら、社会の仕組みや在り方などを見据えたうえで、本質的な問題を探り、本当の「自然の豊かさ」について考えながら社会を変えていかなければ、いつまでたっても自然は破壊され続けるだけです。

このままでは「絆」のある社会は築けない

 閑話休題。「絆」の話に戻しましょう。

「絆」を語る際にも、同じことです。
 ただ映画「寅さん」シリーズや「ALWAYS 三丁目の夕日」を懐かしみ、「あの頃は良かった」「人々の絆が生きていた」と言うだけでは、先には進めません。

 いったい「絆」とはなんなのか。「しがらみ」や「支配」とはどう違うのか。かつてはほんとうに絆のある社会だったのか。

 ・・・そうしたことをちゃんと考えたうえで、「ではなぜ今、多くの人が『絆』を持てずにいるのか」「どのような絆が人を幸せにするのか」を明確にしていかなければ、本当の意味で「絆」のある社会をこれから築いていくことなどできないのです。

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2012年02月10日

「絆」って何?(5)

 それぞれの意味をちょっとネット辞書で調べてみました。

「しがらみ」の意味を調べると、

1)水流をせき止めるために、川の中にくいを打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけたもの。
2)引き留め、まとわりつくもの。じゃまをするもの

 とあります。

 また、「支配」は

1)ある地域や組織に勢力・権力を及ぼして、自分の意のままに動かせる状態に置くこと。
2)ある要因が人や物事に影響を及ぼして、その考えや行動を束縛すること。
3)仕事を配分したり監督・指揮したりして、部下に仕事をさせること

 と書かれています。

 一方、「絆」はというと

1)人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。
2)馬などの動物をつないでおく綱

 となっています。
(いずれもgoo辞書やyahoo辞書等を参考にしたものです)

違いは一目瞭然

 こんなふうに3つの言葉の意味を比べてみると、何が違うのかは一目瞭然ですね。

 ひと言で言えば、「しがらみ」「支配」は「人を縛る」ものです。他方、「絆」は「人間が必要とする結びつき」・・・つまり「人を自由にする」ものなのです。

 なぜ「人間が必要とする結びつき」があると、自由になれるのか。ちょっと心理学的な視点でお話ししたいと思います。

「絆」の原始的なかたちは?

「絆」の最も原始的なかたちは“母ー子”の関係です。

 そう言いきってしまうと「“父ー子”の絆は薄いのか?」とか、「子育てを女性の責任に押しつける考え方だ!」などというお叱りの声も聞こえてきそうです。

 もちろん、科学が進歩した現在は男性の出産をはじめ、故意に「絶つことのできないつながり」をつくり出すことも可能です。
 母よりも格段に子育ての上手な父は存在しますし、血の繋がりがなくとも強い絆で結ばれた関係があることも事実です。

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2012年02月16日

「絆」って何?(6)

 子どもが母(養育者)との間につくる情緒的な絆をアタッチメント(愛着)と呼びます。 
 子どもは、恐い思いをしたり、疲れたり、病気になったり、すなわち危機的状況が高まったとき、守ってくれるおとな(母)に近づくことで、その恐怖を鎮めようとします。

 これは未熟な状態で生まれてくる子どもが、生存の可能性を高めるために行う、ごく自然な行為で、心理学用語ではアタッチメント行動と呼びます。

===
 子どものアタッチメント行動ーー抱っこをせがむ、泣く、甘えるなどーーによって、母側には「子どもの不安をどうにか和らげよう」という気持ちが喚起され、母親は子どもの不安を和らげるための行動をします。たとえば、抱き上げる、あやす、ゆする、授乳するなど、です。

 このような相互作用、相互の行為が繰り返されることで、そこに強い「絆」がつくり出されていきます。子どもにとっては、その母が唯一無二の存在となり、母にとってはその子が、かけがえのない子どもになっていくのです。

「絆」がつくる安全基地
 
 こうした「絆」が、子どもが成長し、けして楽ではない世の中を生き抜いていくため不可欠なベース(安全基地)をつくっていきます。

 子どもは、自分に顔を向け、「お腹が空いたんだね」と、欲求(ニーズ)をくみ取り、問題(不安)を解消してくれる母の存在によって、外界を「安全なもの」と認識し、「求めれば他者は助けてくれる」という対人関係や「自分は助けられるべき価値のある存在である」との確信を深め、外界からの刺激による恐怖を収める感覚を学んでいきます。

 無条件に欲求を受け止めてもらい、適切に応答してもらうことの積み重ねによって、子どもは「自分は守られている」という安全感を獲得し、「世の中は自分を受け入れてくれている」という基本的信頼感や「自分は大切な存在なのだ」という自己肯定感を持てるようになっていきます。

 また、さまざまな刺激に対して適切に対応したり、自分の感情をコントロールすることもできるようになりますし、「不安や痛みに共感してもらえた」経験が子どもの共感能力を育て、他者とつながることを可能にします。

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2012年02月22日

「絆」って何?(7)

「傷ついても慰めてくれる存在がある」「恐い思いをしても戻ることができる場所がある」という確信は、子どもが外の世界を探索したり新しい物事にチャレンジする勇気をくれます。
 
 こうした安全基地の感覚は、人間の成長度合いに応じて内在化され、そのうち母がいなくても自分を慰めたり、不安を沈めたり、勇気を奮い立たせたり、することができるようになります。

 そして安全基地の内在化は、人間がだれかの言いなりになったり、従属したりすることなく、自分の人生を豊かにすることができる人間関係を選び取ること、自分を幸せにしてくれるひとときちんとつながりながら自分らしい人生を歩むことを可能にしてくれます。

「自由」をくれるものこそが「絆」
 
 つまり本来あるべき“母ー子”関係を原点とする、人間を「自由」にしてくれる「絆」こそが、本当の意味で「絆」と呼ぶべきものです。 

 ここで“本来”とあえてつけさせていただいたのは、現実には実の“母ー子”関係であっても、「自由」を保障してくれるような、安全基地として機能するような関係はまれであることは重々承知しているからです。

本質を見失わずに

 今、社会で喧伝されている「絆」は、はたして私たちに安心感や安全感をもたらすものになっているでしょうか。しがらみや支配から解放して自由にさせてくれるものだと言ってよいでしょうか。

 もしかして少数の者だけが富を手にする格差社会にも物を言わず、和を乱さず(長いものにまかれて)、「すべきこと」を率先して行う(空気を読む)人間をつくり出そうとする「新しい公共」のように、私たちを縛るものにはなっていませんか。

 本当であれば、社会で引き受けるべき子育てや介護を個人に押しつけるための方便になっていたり、「地域力」などの言葉で、相互監視社会を築き異端者をはじき出すものになってしまってはいないでしょうか。

 東日本大震災以降、だれもが「つながりの大切さ」を実感している今だからこそ、「人間を豊かにする『絆』」の本質を見失わずにいたいものです。

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