2011年09月の一覧

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2011年09月06日

戦争がなくても平和じゃない(4)

 ところで、この8月、今回の東京電力福島第一原子力発電所事故で放出されたセシウムの量が、広島に投下された原爆の168倍にもなることが報じられました。

 これについて経済産業省原子力安全・保安院は、
「原爆は熱線、爆風、中性子線による影響があり、原発事故とは性質が大きく違う。影響を放出量で単純に比較するのは合理的でない」(『朝日新聞』8月27日)
 と述べていますが、私のような素人にはその危険性がどの程度のものなのか分かりません。

 確かに、ただ単純に「原爆より原発の方が影響が大きい」と言うのはうかつな気もします。

分からないからこそ怖い

 でも、
「実際の危険性がどの程度あるのか分からないからこそ怖い」
 というのが、原発の影響を大きく受けている地域の方々の思いなのではないでしょうか。
  
 震災後に福島県郡山市を訪れたとき、「子どもたちに集団避難を!」と、郡山市を相手にした仮処分の申し立てについて聞く機会がありました(こちら)。

 地元で聞いた話によると、郡山市では、今も1時間に1.02〜1.03マイクロシーベルトの空中放射線量が観測されているそうです。福島県の子どもの約45%に、甲状腺被爆も確認されています。(『朝日新聞』8月18日)

 その事実が、今後、どんなふうに健康に影響してくるのかは、現時点では分かりません。国が言うとおり「問題ないレベル」なのかもしれませんし、「あまり問題のない人もいる」のかもしれません。

 しかし、事故直後の情報が少ない中で「直ちに影響はない」と連呼した政府や学者たちの意見を信じ、最も放射線量が多かった時期に乳幼児を連れて何時間も外で給水車に並んだという母親に、今さら「国の示す安全基準を信じてください」と言われても、それは難しいように思いました。

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2011年09月15日

戦争がなくても平和じゃない(5)

 また、農産物の放射線量を測りもしないで県産のものを給食に出す郡山市教育委員会に対しても、多くの保護者が不信感を抱くのは当然のように感じました。

 今、郡山市のほとんどの子どもは給食で出された県産牛乳を拒否しており、弁当を持参している子も多いと言います。

親たちの不信感と失望、そして罪悪感

「何が安全で何が危険か分からない」、「将来、影響が出たらどうやって保障してくれるのだろうか」、「『原発は安全』と言い続け、リスク管理もしてこなかったうえに、大事な情報も“後出し”してくるような国(行政)を信じていいのか」・・・放射線量の高い地域で子育てをしている親たちは、そんな不信と裏切られた失望の中にいました。

そして、結果的に安全神話に乗っかるかたちとなり、子どもに大きなリスクを負わせてしまった親の罪悪感が、住み慣れた土地や学校を離れ、家族バラバラになってまで、「子どもたちの集団疎開を!」という声に結びつき、当事者である子どもたちを不安に駆り立てているように感じました。

「何歳まで生きられますか?」と問う子ども

 8月17日には東京・永田町の衆議院議員第一会館で、福島県内に住む小中学生が政府の原子力災害対策本部や文部科学省の担当者らに、直接、次のように訴えかけました。

「私はふつうの子どもを産めますか? 何歳まで生きられますか?」(『朝日新聞』8月18日)

 子どもたちにこんなセリフを言わせてしまう日本という国を、本当に「平和な国」と呼んでもいいのでしょうか。「戦争がないから平和なのだ」と、言ってしまっていいのでしょうか。

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2011年09月22日

戦争がなくても平和じゃない(6)

 宮城県でも同様の気持ちになりました。

 私が訪問した地域は地震と津波の爪痕がくっきりと残る宮城県北部。
 そこには原発の影響とはまた違う、震災の影響が色濃く見られまました。

はしゃぐ子どもたち

 宮城県では主に学校にある学童保育にお邪魔し、その指導員の方や教育関係者の方にお話を伺いました。
 
 通学途中に出会う子どもたち、学校の入り口ですれ違う子どもたち、学童保育で遊ぶ子どもたち・・・みんな、楽しそうにはしゃいでいました。
 子ども同士でじゃれ合い、くったくなく笑う姿を見ていると、まるで何事もなかったかのように思えるほど平和な、日常の風景でした。

 学童保育にお邪魔すると、訪問者であるおとな(私)を見つけ、「おやつを分けてあげる」と、無邪気に話しかけてきました。「折り紙しよう!」「切り絵を教えてあげる」と、楽しそうに誘ってきました。

子どもの笑顔の奥に
 
 しかし、そうした子どもたちの笑顔の奥に、命からがら津波から逃げたこと、親や姉弟を失ったこと、家が流されてしまったこと、未だに避難所で暮らしていること・・・。いくつもの恐ろしい体験が横たわっていました。

何も語ろうとしない子どもたちに変わって、おとなたちが教えてくれる子どもの壮絶な体験は、福島での事情とはまた違った意味で筆舌に尽くしがたいものがありました。

驚くほど“いい子”だった

 ところが、そんな大変な思いをしたというのに、子どもたちのことを話してくれたおとなたちは口々にこう言いました。

「震災の後、子どもたちはほんとうに驚くほど静かで、“いい子”でした」

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2011年09月28日

戦争がなくても平和じゃない(7)

 地震、そして津波からの避難。やっとたどり着いた避難先では、ホッとしたのもつかの間。水は瞬く間に建物の1階を飲み込み、大勢の人々が巻き込まれました。

 それを目撃してしまった子もいます。押し寄せる濁流と共に、流れ込んで来た遺体に遭遇したという子もいます。水の難は逃れたものの、冷え切った体で低体温症を起こし、亡くなっていく方を見てしまった子もいます。

 しかも停電です。灯りも食べ物も無い暗闇に降り積もる雪。体を寄せ合って暖を取る、親しい人の安否さえ分からない長い夜を子どもたちは過ごしました。

「もう3月だというのに、あの日は午後からものすごく冷え込んで、暗くなるのもものすごく早かった」と、現地の方々は口をそろえました。

率先して働く子ども

 それなのに、子どもたちはパニックに陥ることも無く、泣き出すことも無く、とても落ち着いていたのだそうです。

 いつもはなかなか言うことを聞かないやんちゃな子まで、きちんとおとなの指示に従い、少ない食べ物を欲しがろうともせず、差し出されるとみんなで分け合って、ただじーっとしていたのだそうです。

 そしてライフラインが復旧しないまま避難生活が始まると、おとなよりもずっと率先して水くみをしたり、トイレ掃除をかって出たりしたそうです。また、そうやって、おとなの仕事を手伝う一方、子ども同士で元気に遊んだりもしていたそうです。

そんな子どもをどう見る?

 そんな子どもたちの話を、みなさんはどんなふうに感じられたでしょうか。

 かねてより「今の子どもたちは戦争も体験せず、経済的にも甘やかされてワガママになった」と発言してきた識者の方々ならば、「やっぱり自制心や道徳心を育てるには苦労が必要なのだ」と言うかもしれません。

「子どもはおとなほど深刻にはならない」と信じている人であれば、「そんな生活をしていても元気に遊び回れるのだから、子どもというのはすごいもんだ」と話すかもしれません。
 
「子どもは希望だ」とか「子どもはいつでも前向きだ」と考える人であれば、子どものパワーに感嘆するかもしれません。

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