2011年07月の一覧

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2011年07月07日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(6)

 たとえば、「毎晩、津波にのみ込まれる夢を見て眠れない」とか「亡くなった母親のことが頭から離れず、涙が止まらない」というのであれば、それは「心の問題」と考えていいかもしれません。

 しかし「いつ自宅に戻るか分からない、先の見えない生活が不安で眠れない」とか「放射能を逃れ、仕事のある夫を福島に残して母親と子どもだけで避難した。以来、気分が塞ぎがち」などというケースはどうでしょうか?

 これも同じように「心の問題」と考え、カウンセリングを受けたり、投薬治療をすれば済む話なのでしょうか?

ちょっとした疑問

 そんなことを考えていたら、ふと、以前にもブログで紹介した作家・雨宮処凜さんの『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)のあるページに書いてあったことが浮かびました。
 
 同書(38・39ページ)には、「すべての人が生きづらい時代」として、16分にひとりが自殺していて自殺の原因で最も多いのは『健康問題』で三分の1以上をしめ、その半数近くが「うつ病」であること。全自殺者の58%が無職で20代・30代の死因の1位は自殺であることなどが記されています。

 そんなことが書かれた同ページで、雨宮さんは次のような疑問を投げかけています。

「働いても働いても食べていけないワーキングプアで生活が苦しく、それでうつ病になった場合などはどこに分類されるのだろう? また、先に書いた多重債務の女性(借金の返済が明日に迫っていることが引き金になって突然暴れ、救急病棟に運び込まれた/37ページ)がもし自殺してしまったら、それは借金が原因? それとも借金が原因でなった精神障害?」
※( )内は加筆しました。

「心のケア」が不要になることも

 今、目の前にいるその方の状態だけを見れば、確かに「うつ病」であったり、「精神障害」であったりするかもしれません。

 でも、そもそもの原因は、その人のまったく個人的な「心の問題」と言ってしまっていいのでしょうか。逆に言えば、その人を「心の問題」として治療できれば、根本的に問題を解決したことになるのでしょうか。

 私にはとても疑問です。

 何しろ、今日、冒頭で示したような「心の問題」として考えられるケースであっても、不安定な生活、孤立した環境などが改善されれば、症状が劇的に改善することもあります。

「現実の問題」が解決したことによって、「心の問題」など無くなってしまうことだってあり得ます。

 

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2011年07月15日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(7)

 被災した方々の「現実の問題」の解決には、莫大なお金がかかります。

 行方の分からなくなっている肉親を探したり、可能な限り今までと同じ生活を保てるようにしたり、無くした仕事や家、残ったローンの心配をしないようにしたり、将来につながる見通しのある生活を保障したりしなければならないのですから、当然です。
 
 しかも一人ひとりまったく違うニーズを把握してからでないとなかなか前には進めません。
 立ち直りまでの生活に膨大な時間がかかる方もおられるでしょう。
 何重もの、金銭的、人的支えが必要な場合もあると思います。

安上がりな「心のケア」

 数々の手間がかかり、時間がかかり、費用のかかる「現実の問題」に取り組むことに比べ、「心の専門家」を派遣して行う「心のケア」は、安上がりで、とても手っ取り早いことでしょう。
 しかも一見すると、ちゃんと被災者一人ひとりと向き合っているようにも見えますから、多くの人が納得する行為でもあります。

 こうしたやり方は、たとえば競争・格差社会をつくっておきながら「自殺者が増えたから『心のケア』をする」と言うこと。
 そんな社会で子育てがうまくできない親を増やし、圧倒的に人手が足りない乳児院や児童養護施設の職員の配置状況はそのままにして、「入所する子どもが増え、大変なケースが増えたから」と心理職を置くこと。
 前に述べたように正規教員を減らしてスクールカウンセラーを導入したりすること。

 ・・・そうした手法と、とても似ています。
 本質的な部分には手をつけないでおきながら、あたかも「当事者のことを考えている」ような雰囲気がするところも同じです。

本質を見極めることが大切

 社会全体の動き、ものごとの本質を見つめることは大切です。それをしておかないと、私たちカウンセラーは知らず知らずのうちに「現実の問題」を封じ込め、安上がりな「心のケア」に手を貸す要員になってしまうことにもなり得ます。

 何しろカウンセラーはついつい「苦しんでいる人にどうか少しでも楽になってほしい」と、何かしら働きかけたくなります。自分が学んできた心理学や療法、臨床経験が「人の役に立つものであって欲しい」と切に願っています。それはもう、身につけた習性と言ってしまってもよいかもしれません。
 
 しかし、もしそれがまったくの善意だとしても、結果として「現実の問題」を「心の問題」にすり替えてしまうおそれがあるのだとしたら、それは罪深いことです。

 そんなことにならないようにするためには、日本社会の現状をしっかりと見つめた上で、多くの犠牲を出した、いえ、今も出し続けている東日本大震災と向き合い、カウンセラーにできること、やるべきことをきちんと整理し、被災者の方々を苦しめている根本的な原因を取り除くことのできる「心のケア」に取り組まなければならないのではないでしょうか。
 
 それはときに、「カウンセラーだからこそ」の苦言であったりするかもしれません。

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2011年07月25日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(8)

 考えてみれば、私たちカウンセラーは、たとえ震災がなくても、原発事故がなくても、「非常事態」の中でどうにかこうにか生きている人たちと常にお会いしています。

 とくに子どもにいたっては、毎日が「緊急事態」という中で、がんばって、がんばって、かろうじて生き延びているケースが少なくありません。

戦争や災害はなくても

 安定や秩序からほど遠い暴力にあふれた家庭、期待に応えられないともらえない条件付きの愛、「あなたのため」という理不尽な要求で子どもを追い込む親、情緒的な関わりがまったく無い家族、少しでも早く「自立しろ」と尻を叩くおとな・・・。

 戦後、日本がひた走ってきた経済性と合理性を追求する社会・・・だれもが競争に駆り立てられ、幼い頃から「負け組」と「勝ち組」に選別され、どんな不条理も「自己責任」として個人に背負わされる社会・・・で生じた、子どもが「子どもらしく、おとなに頼り、愛されながら生きられない現実」をあげればキリがありません。

 たとえ戦争や災害はなくても、子どもが安心して、「自分は愛されている」と思って、ありのままの自分を受け入れてもらって、明日につながる今を確信して、ぬくぬくと暮らせる環境は、今の日本にはほとんどありません。

もう、がんばらなくてもいい!

 今、日本で暮らすだれもが、先の見えない不安や孤独に脅かされて生きています。
 その結果として、うつや不安障害、人格障害などと診断されるような状況にあります。

 そんなたくさんの方の苦しみを日々、共有させていただいているカウンセラーだからこそ言えること。

 それは「今こそ、演技をして元気を装ったり、強迫的にがんばったり、何かの役に立つ人間であろうと努力しなければ生きられない社会は変えていくべきだ!」ということです。

 大惨事をもたらした経済最優先の社会、心や体がぼろぼろになるほどがんばり抜かないと生きていけない社会に“復興”するのではなく、すべての命ある存在が大切にされる社会、だれもが日常的に安心して思いや願いを出し、何もできない、ふがいない存在であっても「そんなあなたが大好きだよ!」と、受け止め合うことができる「“新しい”社会をつくっていこう!」と呼びかけることです。

 未曾有の震災と原発事故を体験した今だからこそ、声を大にして言いたいと思います。

「がんばらないと生きていけない社会はもういらない!」と!!

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