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生活も職も心も不安にさらされている人たちの問題に取り組んでいる作家の雨宮処凜さんの近著『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)によると、日本では今「16分にひとりが命を絶っている」(38ページ)そうです。

さらに同書は、生活困窮者の支援をしているNPO「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠氏の唱える「五重の排除」ーー「教育課程からの排除」「企業福祉からの排除」「家族福祉からの排除」「公的福祉からの排除」「自分自身からの排除」という概念も紹介し、「この『自分自身からの排除』は、まさに自殺の問題と地続きだ」(42ページ)と書いています。

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私もまさに同感です。

必ずしも貧困に陥っていなくても、カウンセリングでお会いするほとんどの方が「自分自身もが自分を『見放して』いく」(44ページ)ようにさせられています。そして自分を責め、うつ的になり、さらに絶望すると、死への扉に近づいて行きます。

「自分はダメだ」「そしてそれは自分のせいだ」と思い込まされて・・・。

「自分自身からの排除」

同書(42~43ページ)には、「自分自身からの排除」に陥った30代男性の事例も載っています。

彼は、リストラにあって以来、6年間120社以上に求職活動をするも不採用。その間、派遣で働いた仕事は長期の予定だったのに、一月でクビ切りにあったそうです。気に入られるよう、毎日30分から1時間早く出社してそうじをし、私服OKの会社にスーツで出社するほど気を遣っていたにもかかわらず、彼の努力は一切、顧みられることはなかったのです。

さらに許せないのは、最近、彼が面接を受けた企業の採用担当者のこのコメントです。

「貴方の生きている目的はなんですか? こんな6年間も地に足が着かない事をして・・・。私には貴方のような人たちの生きている意味が理解できない」

そして彼は不採用になり、メールにこう書いてきたそうです。

「今の仕事が出来ないのもすべての原因は自分自身にあると思っており生きていることが社会に対して迷惑と思っております」

「本人の問題」と片付けられない

いったいだれが望んで、6年間も地に足の着かない事をするでしょうか。
だれが望んで、そんな人生を選ぶでしょうか。
ほんのわずかなりとも人間らしい共感能力があれば、すぐに分かることです。

彼のような気持ちに追い込まれ「うつ病」と診断された人のことを「心の問題」と考えることができるでしょうか。そして、「社会にとって迷惑な自分を消そう」と命を絶った人がいたとしても、その原因を「本人の問題」として片付けることができるでしょうか。

長い間、彼の尊厳を踏みにじり、おとしめ、排除という暴力を野放しにしてきた社会や、その代弁者である採用担当者にはなんら関係のないことなのでしょうか。

私はとうてい、そう思うことはできません。

日本は暴力にあふれた国

どう考えても、日本は豊かでも平和でもない、暴力にあふれた国です。
もし、それを「心の問題」や「本人の問題」として本人に押しつて片付けることができるのだとしたら、「そうできる人の心こそが病んでいる」のです。

そうした心を病んだ人の代表的な意見を、やはり雨宮さんの本から引用したいと思います。秋葉原で無差別殺傷事件が起きた後の『読売新聞』の「編集手帳」(2008年6月10日)の一節です。

「世の中が嫌になったのならば自分ひとりが世を去ればいいものを、『容疑者』という型通りの一語を添える気にもならない」(続く…

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私もごく身近で、そんな日本社会の残酷さを実感することがありました。つい数日前のことです。

夜8時過ぎ、ふいに家中の電器が消え、真っ暗な静寂がおとずれました。一瞬「ブレーカーが落ちたのかな?」とも思いましたが、とくに電力消費量の多い器具を点けたわけでもありません。

慌てて懐中電灯を探し、外に出て、他のお宅の様子も見てみようとしたところ、フッと部屋中の電気が点り、あちこちから「ブーン」という家電製品の放つ低い音が聞こえてきました。ほんのつかの間の停電でした。

外に出ると、いつもの風景。どの家からも灯りが漏れています。まるで何事もなかったかのようです。

唯一、停電があったことを確認できるサインと言えば、裏の公園の電灯が消え、公園が闇に包まれていたことでした。

鉄塔に登り、感電死

「なんだったんだろう?」といぶかしく思いつつも、眠りにつく頃にはもうすっかり忘れていた停電。その理由を知ったのは、翌日の新聞でした。

新聞には、気を付けて見なければ見落としてしまうほど、小さな小さな停電の記事が載っていました。

時刻、影響を受けた地域を見ると、おそらく間違いはありません。記事を読むと、「36歳の無職男性が鉄塔に登り、感電死。自殺を図ったと見られる。その影響で●●地域が停電となった」と書かれていました。

まだ30代。その若さで、感電死しようと鉄塔に登ったこの男性の人生とはどんなものだったのかとしばらく考え込んでしまいました。

おそらく、子どもの頃にはいろいろな夢もあったことでしょう。20歳の頃は、「30代後半になる頃には、仕事も落ち着いて、結婚もし、マイホームでも購入して、かわいい子どもと休日は遊びに行く」・・・そんなささやかな幸せのある未来を描いていたかもしれません。

生涯に終わりを告げた合図

私とほぼ同じ時代を生きてきたひとりの男性が、自らの生涯に終わりを告げた合図が、あの停電だったのかと思うと、言いようのないやるせなさがこみ上げてきました。

おりしも3月は自殺対策強化月間。テレビでも、政府がつくった様々なパターンの「自殺を思いとどまらせるため」のコマーシャルが、さかんに流れています。
内閣府のサイトには、「悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人であるゲートキーパーになりませんか?」との呼びかけも載っています。

そんな啓蒙活動も、この男性の命を救うことはできませんでした。

そもそもこの啓蒙活動は「大切に思ってくれる人が側にいる」という設定。それ自体に無理を感じます。なぜなら、本当の意味で自分のこと気にかけ、弱みを見せてもすべて受け入れてくれると思えるような人が寄り添ってくれているのなら、人は自殺などしないのですから。

わずかな証しを残したい

湯浅さんや雨宮さんの言葉を借りれば、社会や仕事からも、地域からも、家族からも、そして自分自身からも排除され、「こんなふがいない自分は消えてしまった方がいい」と自殺への道を選んだ男性。

その彼が、最後の勇気を振り絞ってやったことが鉄塔に登っての感電死でした。少なくとも数千、数万戸の世帯に影響を与える死に方を選んだ理由が、なんだか分かる気がします。

「存在する意味さえ見失った自分。でも、自分という人間が『この世に確かにいたのだ』という証しをわずかなりとも残したい。せめて死んでいくときくらい、自分という存在を示したい」

そんな気持ちが男性の中にあったのではないかと思ってしまうのは、私の考えすぎなのでしょうか。(続く…

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東北地方太平洋沖大震災と、原発事故によって被災された方、大切な方が被災された方、そして被災された地域に心よりお見舞い申し上げます。

前回のブログを更新した後、あまりにもいろいろなことが起こりました。
更新したのはつい昨日のような気もしますし、もう遠い昔のような気持ちもします。
この2週間あまりのうちに、私たちの日常はとても大きく変わってしまいました。

ほとんど震災の影響は受けなかった地域でも、停電や放射性物質・放射能汚染の被害、それらを恐れての買い占めなどなど、さまざまな生活面、精神面での負担が広がっています。

恐ろしい津波や原発の映像を何度も見せられることによるダメージもあります。私のクライアントさんの中にも、繰り返される映像によって不眠や過覚醒、食欲不振などに陥っている方もおられます。

「助けて」が苦手な日本人

今回の震災と原発事故で胸が痛んだのは、「日本人は本当に『助けて』が苦手なんだなぁ」ということでした。
実はこの感想は、前回のブログに書いた鉄塔に登って自殺を図った方について思ったこととまったく同じものです。

2009年10月7日「クローズアップ現代」(NHK)は、「“助けて”と言えない〜いま30代に何が」という番組を放映しました。番組は、とくに30代に大きな反響を呼び、その後、本になりました(文藝春秋刊行)。

番組をつくるきっかけについて、NHK取材班は、「2009年4月、北九州市門司区の住宅で、便箋に「たすけて」という文字を残して、39歳の元飲食店従業員男性が餓死した。なぜ彼は、だれにも相談できないまま死んでいったのか。その答えを見つけたかった」(同書、6ページ)という趣旨のことを述べています。

「自己責任」に縛られて

ごく簡単に、本に登場する30代ホームレスの方や「明日は我が身」と案じる方たちの心境について触れたいと思います。

この本によると彼・彼女らを縛っているのは、小さな頃から植え付けられた「自己責任」という言葉でした。

番組に登場する路上生活を強いられた男性は
「何が悪いって自分が悪い。それ以外の言葉はないと思います。頑張りが足りなかった自分に活を入れれば良かったと思います」
と言い、ある女性は
「(略)女性も『自立』『何でも自分でこなす』『強くならなければいけない』助けてと言う強さをもてるなら苦労はしない」
と番組を見た感想をつづります。

また、他の女性は
「(略)自分がだめだから、もっと頑張れば、心に刺さります。迷惑をかけた、役に立っていない、そういう思いがつきまといます」
とブログで反応し、また別の女性は
「だれかを蹴落とさないと、自分が蹴落とされる社会。(略)目の前のことに追い込まれて、心を開くなんて思いつきもしなかった」
と記します(同書136〜140ページ)。

でも、こうつづる人々のだれひとり「怠けて」いたり、「サボって」いたりはしません。それどころか、就職氷河期、成果主義、リーマンショック、派遣切りの中で、これ以上ないほど頑張って頑張ってきた方々です。

そんな人たちが「自分の頑張りが足りない」のだから「助けてなんて言えない」と言うのです。(続く…

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