2011年01月の一覧
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2011年01月17日
「生命力の種」ーー新年のあいさつに代えて(1)
新年、あけましておめでとうございます。
このブログを始めて5年目に入りました。長年、おつきあいいただいているみなさまに、改めてお礼を申し上げたいと思います。
「お花の種」を描いた子ども
ところで、つい最近のこと。
とある研究会に参加した際に、子どものセラピーをしているあるカウンセラーさんが、その方のクライエントである、ひとりのお子さんが描いた絵について、こんな話をしてくれました。
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「まず、その子は自分が好きな花の絵を描き、次にいくつかの箱を描きました。そこで私が『箱には何が入っているの?』と尋ねると、『こっちにはじょうろ。こっちにはそのお花の種』と答えたのです」
その話を聞いて、参加者のみんなの口から、ほっとしたようなため息が漏れました。
「すごいね」
「そこまで傷を癒せたんだね」
「未来につながる力が芽生えたんだね」
・・・さまざまな場所でカウンセリングに関わっているみなさんが、思い思いにつぶやきました。
なぜ心理臨床の仕事に惹かれるのか
守秘義務がありますので、その子どもがどんな人生を生きてきたのかはここでは詳しく記すことはできません。ただひとこと、「暴力に満ちた毎日の中で、ひたすら親の愛を求めてきた子ども」と申し上げておきましょう(上記の「絵」に関する記述も事実を多少代えています)。
その生い立ちから、未来どころか今の自分自身を信じることも困難で、自分に価値を見いだせない絶望と寂しさがいつも隣りにある毎日を生きてきたと、察することができます。
そんな生き地獄のような日々を息抜き、「花を咲かせる種」を心の箱に持つことができるようになるまでに成長することは、並大抵のことではなかったでしょう。
そんな子どもが描いた花と箱、じょうろと種の絵を想像し、絵の様子を思い浮かべていると、「なぜ私が臨床の仕事にこんなにも心惹かれるのか」ーーその答えが、ふと見えた気が来ました。
いちばん最初に出会った「心理職」
実は私、長く心理だの、カウンセリングだのというものに対しては、かなり批判的な考えを持っていました。
・・・と言いますのも、このブログを長く拝読くださっている方はご存じなように、私は「生粋の心理系」の人間ではありません。
大学では社会学を学び、マスコミに就職し、ジャーナリストとして働く中で、心理の世界と巡り会いました。
そんな私が、いちばん最初に知った「心理職」の方は、児童相談所に勤務している方でした。
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2011年01月28日
「生命力の種」ーー新年のあいさつに代えて(2)
それは、オウム真理教(現アーレフ)事件の取材を続けている中でのことでした。
地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月20日。事件後、すぐに容疑者はオウム真理教に絞られ、出家信者たちが住んでいたサティアンや道場では、連日のように強制捜査が行われ、テレビも新聞も、雑誌も、街の話題も、文字通り「オウム一色」でした。
あらゆるマスコミがサティアンの前に張り付き、些細なことまでリアルタイムで報道し、「いかにオウムがひどい集団か」という情報が、真実かどうかも検討されないまま飛び交っていました。
突然「発見」され「保護」された子どもたち
そんな中で行われた強制捜査が3週間も続いた後、出家信者の子どもたちは「飢えて遺棄・虐待されていた」として緊急に「一時保護」されました。
連日、建物に出入りしていたにも関わらず、捜査員は「飢餓に苦しむアフリカの子どもよりひどい状態」(1995年4月15日『朝日新聞』)の子どもたちに気付かず、捜査から3週間が過ぎてから、突然「発見」され、「保護」されたのです。
「保護」に至る経緯もかなり不思議ですが、保護の仕方や、その後の子どもたちの処遇も、報道の内容も、行政機関の対応も、「いったいだれのための、何のための『保護』なのか」と、首をかしげたくなることばかりでした。
事件とは無関係
機会があれば、その内容についてこのブログでも詳しく述べたいと思いますが、ここは先を急ぎます。
ごくおおまかに言っても、オウム真理教のトップが行った犯罪や事件と、一般信者とその子どもたちとはまったく関係がありません。
その出家生活が、子どもにとってよいものだったのかという問題は残るにしても、子どもたちの気持ちをまったく無視して、大勢の屈強な男達が、力任せに住居から引きずり出して、「緊急に保護」する必要のあるものだったのかは大いに疑問です。
一般信者の多くは、「世の中で認められる価値ある人間にならなければ」という日々に疲れ、そうした社会で壊れた人間関係に傷つき、安住の地を求めて出家していました。子どもたちは、そんな親に連れられ、何も分からないままにサティアンや道場で暮らしていました。
子どもたちが味わった恐怖と不安
そんな子どもたちにとって、力尽くで、むりやりの、突然の「一時保護」は大きな恐怖と不安をもたらすもの以外の何ものでもありませんでした。
子どもたちからすれば、「なぜ、自分たちがこんなにも屈辱的な恐怖にさらされるのか」「なぜ、住み慣れた場所と、慕っている人から引き離されるのか」ーーまったく分からなかったのです。
信者が撮影した記録ビデオを見ると、子どもたちの顔は恐怖で歪み、のどがはり裂けんばかりに大声を上げて、助けを求めていました。そしてあらん限りの力で抵抗し、どうにか捜査員の手を逃れようとしていました。
中には、実の親の手の中から、数人の警察官らに囲まれ、「お母さん、助けて!」と叫びながらも、もぎ取られるようにして連れて行かれた子どももいました。