2010年11月の一覧
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2010年11月02日
真夏の怪(5)
誤解のないようにことわっておきますと、「だから、景気の動向と自殺者数はリンクしているはずだ」と言いたいわけではありません。
そのふたつがまったく無関係とは思っていませんが、ただ「景気回復」や「貧困対策」をして、失業者が減れば自殺が減るわけではないとお伝えしたかったのです。
昨年末に「『子どもの貧困』の何が問題か」でも書いたように、失業の増加や不況だけを重視して「貧困こそが問題なのだ」という視点で見てしまうと、「だから景気対策を優先させ、経済的に豊かになることが大切なのだ」というところに帰結してしまいます。
でも70年代、80年代を振り返えって見ればわかるように、世界一の経済大国であるアメリカを見れば分かるように、経済優先の社会は人間を幸せにしませんでした。
それどころか、他者とのつながりとか、家族の情緒的な結びつきとか、損得を抜きにした関係性とか、お金では得られないホッとする時間などの、人間が“人間らしく”生きることを否定することで、ひたすら富を生んできたのです。
そして、その先にあったのが「無縁社会」であり、「家族の絆の崩壊」でした。
学習塾費の補助だけでいい?
「貧困対策」にばかり目がいくと、たとえば教育格差を「貧しい家庭への学習塾費の補助で乗り切る」なんてことが、不思議に感じ無くなってしまいます。
最近、いくつかの自治体や都道府県でこうした補助金を出すというニュースを目にしました。もちろん、塾に行けないことで進学できなかったり、ひいては将来に大きな格差が馬得ることは避けなければいけません。
もちろん、今現在、こうした問題のまっただ中にいる子どもに援助をすることはとても必要なことだと思います。
でも、そこで終わってしまっては根本的な問題が残されたままです。日本の教育の最も大きな問題は、「公教育だけで、学力や進学が支えられない」ことにあるはずです。
本来であれば、「公教育を受ければ、必要な学力が付き、進学できる」ように教育の仕組み全体を変えていくことが筋のはずでしょう。
ところが、その根幹の部分にはまったく触れず、またまた問題の本質がうまくすり替えられ、対処療法的なやり方のみがもてはやされます。
高校無償化は何を救う
民主党の目玉施策のひとつに数えられる「高校無償化」も、この対処療法の域を出ません。いや、もしかしたら「療法」とさえ呼べないシロモノかもしれません。
ちょっと考えてみてください。高校生活にかかるのは授業料だけではないのです。入学金や給食費、大学受験のための学習塾費・・・ざっと考えても、その他膨大な費用がかかります。
それにもかかわらず、高校の授業料のみを無償化するわけですから、家庭の経済状態によって、授業料分のいわば「浮いたお金」の使い道は違ってきます。おそらく、低所得層は生活に、高所得層はさらなる高等教育に向けた資金に当てられることでしょう。
・・・ということは、今まで以上に格差の助長・固定化につながる可能性が高くなるということです。
しかも長年、民主党の教育施策のアウトラインを描いてきた鈴木寛文科学副大臣は高校無償化などの三方案をつくるに際し、「保護者の経済力によって塾に通えるか否かの差が子どもの学力格差につながっている。(中略)『すべての子どもの学習権保障。機会の平等の完全確保』を掲げる民主党のテーゼ(綱領)を実現するためのもの」(民主党ホームーページより)と発言しています。
ここから分かるのは、民主党の言う「教育の機会均等」とは「塾を含む教育の機会均等」のことだということ。
つまり民主党は「公教育全体を見直す」つもりなどさらさらなく、「塾を含む教育の機会均等」を推進する高校無償化制度を導入し、子ども手当同様、各家計に「浮いたお金」を持たせることで保護者の消費行動をうながすことこそが目的なのだと読むことはできないでしょうか。
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2010年11月10日
真夏の怪(6)
今回のテーマでは、この夏に起きた不思議な事件、奇々怪々な事象、施策などさまざま取り上げてきました。
まだまだ疑問を感じることは山のようにありますが、すっかり秋も深まって参りましたので、そろそろ終わりにしたいと思います。
しかしなんと言っても、山積する不思議の中で最も不可解なのは、こういった政治や社会に怒ることもしないサイレントマジョリティーの存在です。
勝っても負けてもだれも幸せにしない。果てしなく続く競争社会の中で、心休まるときもなく、余裕のある生き方もできないまま、「でも、それは仕方のないこと」とあきらめ、結果的にさらなる競争社会ーー「自己決定と自己責任」ーーへと突き進むことを許している大多数の存在です。
何でも民営化されるのはよいこと?
たとえば昨今、「事業仕分け第三弾」が行われましたが、多くの人々が「ムダを無くして欲しい」と、この仕分けを喜んでいます。しかし、事業仕分をごくごく単純に言ってしまえば「従来、国で行ってきたことを民間企業ができるよう」仕向けているだけです。
民間企業が執り行うということは、「その事業が企業利益の対象となり、お金を払えるひとでなければよいサービスを受けられなくなる」ということです。
何でもかんでも民営化されることが本当に国民に利益をもたらすものなのか。それは保育事業の民営化や、郵便事業の民営化の現在を見れば、もう答えは明らかなはずです。
確かに、天下りなど甘い汁を吸い続けてきた官庁関係者の存在は許せるものではありません。私たちが収めた税金が、国民のためにならない使い方をされてきた事実も見過ごしてはいけません。
でも、こうした「官の問題」を無くそうというのなら、そのお金の使い道を明らかにしたり、天下りができないような法律つくったりして、監視の目を光らせ、きちんと不正を糺していけばいいだけです。
何もその事業を民間に開放する必要などありません。
ちゃんと怒ろう!
繰り返しになりますが、「民営化する」ということは「買う側の経済力によって受けられるサービスが違ってくる」ということ。そして、それを「あなたが選んだのだから」(自己決定)として、個人の責任に押しつけられるということです。
今までは、国民の権利として、社会保障として、だれもが均一に受けられていたサービスが、消費の対象となるのです。
当たり前の話ですが、お金持ちは金に飽かせていくらでもよいサービスを買うことができるようになり、貧しければ「安かろう、悪かろう」のサービスしか受けられなくなります。いえ、下手をしたらサービスを買うことさえもできなくなる人が大勢でるでしょう。
私たちが望んでいるのは、「お金がなければ満足に福祉も教育も受けられない」社会なのでしょうか? それとも「財政のムダを無くして、その分、豊かな福祉や教育を受けられる」社会なのでしょうか。
おそらく、多くの人が選ぶのは後者でしょう。甘言や表面上の華やかさ、「今までよりは良くなりそう」なイメージなどに惑わされず、「その裏に何が隠されているのか」を見極め、理不尽なものごとに対してきちんと怒っていくことが必要です。
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2010年11月24日
矛盾社会(1)
最近の日本は、つくづく「矛盾社会」だなぁと思います。
本質からずれたことがあたかも「よいこと」であるかのように喧伝され、根本的な問題についてはまったく触れようともせず、表面上「ちゃんと取り組んでいますよ」というふりをする姿勢や取り組みが多すぎます。
「落ち穂拾い社会」と言ってもいいかもしれません。
たとえば「真夏の怪」のときに書いたように、今の大学生の就職は「就職氷河期」以下。60%を割っています。
それにもかかわらず、就職支援といえば就職カウンセリングだの、スキルトレーニングだのの話ばかり。「卒業して数年たっても新卒枠で採用する」などという新しい?発想も生まれていますが、その考え方そのものがよく分かりません。
===
それならいっそ「新卒採用」という枠を外し、いつでもだれでも応募できるようにすればいいだけではないのでしょうか。
何しろ「新人を育てる余裕などないから即戦力が欲しい」というのが本音なのですから。
でも、「なぜ企業がこんなふうに追い込まれているのか」ということはやっぱりまったく振り返ることはされません。
実態をともなわない活動
ワークライフバランスとか育休の推進など実態をともなわない活動のひとつでしょう。
だれだって「仕事とプライベートのバランスを取りたい」と思っていますし、「子どもが小さいうちくらいもっと子どもと関わりたい」と考えているはずです。
ワーカホリックの方は別として(なぜワーカホリックになったかという原因を考えずにおけば、ですが)、できれば早く仕事を切り上げ、家族や恋人とともに過ごしたいと思っている方が、世の中の大半なのではないでしょうか。
でも、それができないのです。
たんなるポーズに過ぎない
だれの目にも明らかなように、不安定雇用社会だからです。よっぽどの大企業務めや公務員であれば別ですが(それも出世と引き替えということがまだまだあるらしいです)、ほとんどの人は「仕事を休む=解雇」の現実に直面する可能性があります。
契約社員や派遣社員であればなおのこと。「うかつに休んだら、次回の契約更新はしてもらえないかも」という恐怖にさらされながら働いています。
企業の規約や目標には「家族に優しい」とか「男性社員にも育休を」と書かれていても、それを信用するわけにはいかないという事情があります。
その現実を変えるには、就職率の向上と同様、企業利益追求型の今の社会を抜本的に変える必要があります。
いくら「ワークライフバランス」を謳って自治体ごとにポスターを作成したり、ワッペンを配ったり、区報や市報で「お知らせ」しても、それはたんなるポーズに過ぎません。だって、実態を変えることにはなんら作用していないのですから。