真夏の怪(3/6)

このシリーズの最初の記事へ

つらい出来事に遭遇したときに、落ち込むのは自然な心の働きです。
仕事で失敗したり、失恋したり、大事な人を亡くしたりしたときに、ネガティブになってしまうのも、心がきちんと働いている証拠。気分には波があって当然です。それが生きているということなのです。

もし、どんなにことがあっても落ち込むことなく、常に前向きでいられたとしたら、私たち人間はどうなるでしょうか。

たとえば、上司から人格を否定するような言葉を投げつけられたり、一生懸命働いてきたのに期限付きでクビを切られたり、非正規雇用ということで正社員からぞんざいな扱いを受けたりしても、そんな現実をただただ受け入れて、前向きに生きられることは本当に幸せでしょうか。

気持ちが落ち込んだり、怒りを感じたり、快・不快を感じ分けたりできるから、私たちは自分の身を守ったり、理不尽な状況を変えようと立ち向かうこともできます。
悲しみや怒りなど、一見、マイナスに思える感情も、私たちの人生をよりよく変えていくためにはとても必要なものなのです。

思い出す『心のノート』

「いつも前向きで行こう」というかけ声は、かつて文部科学省が「子どもの心を耕し、豊にする」として作成した『心のノート』を思い出させます。つい最近、あの事業仕分けで「ムダ」と指摘されたノートです。

ノートは、小学校低学年版と中学年版、高学年版、中学生版と4つあるのですが、たとえば低学年用には「あかるい 気持ちで」という塗り絵をするページがありました。

そのページには、たくさんの風船が結ばれた気球のイラストがあり、
「きょうは どんな 一日だったかな。あかるい 気持ちで たのしく いっしょうけんめいにすごせた 一日だったら 気きゅうのふうせんに 青い いろをぬろう。もう すこしだったなと おもう日には きいろい いろを ぬろう」
と書かれています。

もし、ノートに向かった子の一日が青にも黄色にも塗れないほど辛いものだったらどうするのでしょう。仕事に忙殺されたお父さんが大事な約束を忘れていたり、すれ違いの夫婦生活にイライラするお母さんに怒られたりして、とっても悲しい朝を迎えた日だったら、子どもはいったい何色に風船を塗ればいいのでしょうか。

心を変えることで現実問題を温存する

たぶん、素直な子どもは困って、少し迷い「なるべく青で塗れるように」と、明るい気持ちでいられるようにと頑張るはずです。「青く塗れないのは頑張りが足りないせいだ」と考え、辛いことは極力、考えないようにして、現実は横に置き、一生懸命楽しくすごそうと努力することでしょう。

『心のノート』には、こうしたしかけがたくさん詰まっていました。現実の問題を見据えて批判したり、合理的に考えたりするのではなく、すべてを“心の問題”にすり替えていく仕組みがそこかしこにあったのです。

どんな辛い現実も「そう感じるのは心の問題なんだ。心を変えればハッピーに生きられるんだ」と、“現実の問題(環境や社会の問題)”を“心の問題(個人の問題)”として、「おかしいことを『おかしい』と感じる心の方(個人)を変えていくことで、解決すべき現実(環境や社会)を温存する」――そんな役割を果たすべくつくられたノートのように、私には感じられました。

こんなノートをつくって小さな頃から「あるべき心」を埋め込もうとする文部科学省に、さらにはその作成の立役者が高名な心理学者であることに、猛烈に腹が立ったことを覚えています。(続く…

カウンセリングルーム カウンセリングルーム カウンセリングルーム

Posted by iff