2009年12月の一覧

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2009年12月04日

「子どもの貧困」の何が問題か(3)

 でも、ちょっと待ってください。

 確かに、保険証がなくて病院に行けなかったり、高校生がアルバイトで生計を支えたり、学用品も買えず、家に食べ物がないような「貧困」生活は確かに問題です。
 教育費がバカにならないほどかかる日本においては、経済格差は子どもの将来、いえ、何世代にもわたる格差の始まりになることも明らかです。
 間違いなく子どもたちを不幸にすると言っていいでしょう。

 では、単純にこうした子どもたちにお金を与えれば、それで問題は解決するのでしょうか?
 お金がいっぱいあれば子どもは幸せに生きていけるのでしょうか?

経済的には恵まれていても・・・
 
 けしてそんなことはないでしょう。

 たとえば私が日々、IFFでお会いしているクライアントさんの中には経済的にはとても恵まれた家庭に生まれた方も多くいらっしゃいます。

 食べる物にも、学費にも困ったことはなく、生活の心配などしたこともない。けれども、だれかに支えられている感覚を持てず、この世の中が安全とは思えず、「生まれてきてよかった!」とだれかに感謝することなどとてもできない方はけして少なくありません。

 子どもの世界に目を転じてみても、同じことが言えます。

増える子どもの暴力

ちょっと話題は変わりますが、ここ数年、子ども、とくに小学生の暴力が増えたという話をよく耳にします。

 実際、11月30日に文部科学省が発表した「2008年度問題行動調査」の結果によると、小中高生の暴力は過去最多だった昨年度をさらに13%も上回る数でした。
 器物破損をのぞく暴力では、4件に1件が被害者にケガを負わせているということで、『読売新聞』(12月1日付)によると、無抵抗の教師を殴る蹴るなどする事件も起きているとのことです。

 私が小学校の教師をしている方たちに聞いても、「感情のコントロールができない」、「ストレスを弱い者にぶつける」、「手加減しない」・・・そんな子どもたちの“特徴”がよく話題になります。

 そして、少なくとも首都圏では、こうした“特徴”を持つ子どもの多くが、「比較的裕福な家庭の子どもで、成績が上位にいる子ども」だと、教師の方々は口をそろえるのです。 

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2009年12月11日

「子どもの貧困」の何が問題か(4)

 私たちの社会はずっと長い間、「経済的に豊になれば幸せになれるはずだ」と考えてきました。そして、「経済的に豊なのに問題を起こしたり、意欲を持って何かに取り組んだりできないのは本人が甘えているからだ」としてきました。

 実は、とても残念なことですがいまだにそのように考えている人が知識人とか、学識経験者と呼ばれる方の中にも少なくありません。

 最もよい例が、06年12月の「改正」教育基本法につながる今の教育政策路線を決定づけた『教育改革民会議』の第一分科会に提出した曽野綾子氏のレポートです。

日本は「夢のお国」?

 とても長いレポートですが興味のある方は前文を読んでいただきたいと思います。ここではその一部を引用させていただきましょう。
 そこで曽野氏は「教育を骨抜きにしたのは、皮肉にも戦後日本の幸運と政治の成功にありました」として、日本がいかに世界的に見て「夢のお国」であるか事実を次のように書いています。

 1) 清潔な水が飲める。
 2) 餓死するような人も、乞食も、行き倒れも(例外的にしか)いない。つまり社会保障の制度がある。
 3) 医療は誰にでも比較的すみやかに受けられる。
 4) 弱者の悪口は言えないが、強者の悪口は言える。
 5) ほとんどの人が雨の漏らない、電気、水道、暖房、浴室、炊事場などが屋内にある家に住み、テレビや電話などを使える。
 6) 行きたいところに行くことができ、親の出身が何であろうと、子供は自分の才能次第で、いかなる 職や地位に就くこともできる。
 7) 誰もが税金を納めている。
 8) すべての不正な人は、(地位や財力に関係なく)罰される。
 9) 誰もが教育を受けられる。
 10) 条件をやかましく言わなければ、働くところがある。
 11) 血を流すような内乱や部族の抗争がない。

 そして「子供たちは、飢えも不潔も、貧困も運命に放置されることも、決定的な暑さも寒さも、知らなくなりました」と述べています。

 上に並べた11コの項目にも反論したいところはたくさんありますが、ここではやめておいて次に進みましょう。

今の体制に感謝を
 
 さらに第一分科会での議論を元に奉仕活動や道徳教育の必要性を主張した「日本人へ」では、曽野氏はこう書いています。

 「誰があなた達に、炊き立てのご飯を食べられるようにしてくれたか。誰があなた達に冷えたビールを飲める体制を作ってくれたか。そして何よりも、誰が安らかな眠りや、週末の旅行を可能なものにしてくれたか。私たちは誰もが、そのことに感謝を忘れないことだ」

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2009年12月18日

「子どもの貧困」の何が問題か(5)

 前回紹介したような「先進国に生まれ育ちながら、努力しようとしなかったり、他人様に迷惑をかけるような人間は甘えている」という考え方を持つ人たちは、発展途上国の子どもも、もちろん先進国の子どもも、視野に入れてつくられた国連の条約である子どもの権利条約について、間違った解釈をすることがしばしばです。

 たとえば、元国連人権小委員会委員でもある波多野里望氏は、「この条約は、そもそも発展途上国の子供の人権環境を改善することを主な目的」とし「子供の権利を突出させることを要求しているわけではない」(元国連人権小委員会委員・波多野里望氏)と解釈しています(引用)。
 そして、いまだに保守系の議員の方は、これと同様のことをよく口にします。

 今年は、ちょうど子どもの権利条約の国連採択20年、日本批准15年の節目に当たる年なのですが、まだまだ子どもの権利条約を正しく理解している人は少数です。何しろ、日本政府でさえ、つい多波野氏のような立場を取っていました。

あなたの身近に・・・

 国連の条約を例に出して述べると「なにやら遠い話」のような気もしますが、ちょっと周囲を見回してください。

「私たちが子どもの頃は食べる物もなくて苦労したのに今の子は」
「昔は学校に行かせてもらえず、家の手伝いをするなんて当たり前だった」
「少子化で大事にされすぎてワガママになっている」

 子どもを見て、こんなふうにつぶやく人はいないでしょうか?
 
 アフリカで飢餓に苦しむ子どもや、児童買春の犠牲になる東南アジアの子どもには心を痛めるのに、日本の子どもには無頓着なおとながいないでしょうか?

「甘えている!」と平気で言えるおとなたち

 たとえば、小さな頃からおとなの都合で引っ張り回され、ときには両親の母親役をし、外では「愛想の良い“いい子”」でいるよう強いられ、競争させられ、選別され、疲れ果てたり、無気力になっている目の前に子どもに対しては「甘えている!」と、平気で言えてしまうおとなに遭ったことはないでしょうか。
 
 悲しいことですが、私はとてもたくさん、そういったおとなに遭いました。ちょっと街を歩いたり、電車に乗ったりするだけで、そんなおとなたちの会話が聞こえてきます。

 そして、そんなおとなの価値観をすっかりすり込まれてしまった子どもにもいっぱい出会いました。
 その多くは「こんな自分は恥ずかしい」と罪悪感を持っていたり、“おちこぼれ”の立場にいても「自分のせい」と諦めていました。

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2009年12月25日

「子どもの貧困」の何が問題か(6)

 さらに「『子どもの貧困』の何が問題か」(1)でも紹介した国連へのNGOレポートには、

「私立から公立中学校に編入してきたAくんは、部活動の時間になると手のしびれや吐き気を訴え、保健室に来る。それを受け入れられない母親は『部活の顧問は問題教師』『指導の仕方が間違っている』とクレーマーと化し、やがてAくんは教室にも行かれなくなった。それでもバブル世代の母親は、『私学から落ちこぼれたという挫折感を持ったうえに、部活動まで続けられないなんて“負け犬”』と“励まし”続けている」

===
「『朝食を食べよう』とスローガンを掲げても、つくってくれる親がいない、冷蔵庫は空っぽという子も多い。消費社会に組み込まれた親は、教育費や豪華なマンション、新車などのために必要以上に働いて、食事をつくる時間さえなくなっている」

「(岡山県のあるドクターが関わっている各高校には)半数は寂しさを訴える子どもがおり、親や先生に喜んでもらえるように頑張っている子が、自分の居場所が無いと寂しさを感じている。男の子は彼女をコントロールすることで不安や恐怖を解消し、女の子の側はそれに従うことが孤独にならない一番安定した関係だと思っており、それがデートDVなどの原因になっている」

「子どもをベビーカーに乗せっぱなしで、自分は携帯電話に夢中だったり、子どもの問いかけを無視しても平気。子育て広場に来ても、子どもに見向きもせずママ友だちとのおしゃべりに余念が無い。子どもを泣かせないよう、すぐにおしゃぶりを与えおとなしくさせ、子どもの泣きたい気持ちにより添ったり、一緒に困るという体験を避ける」

 などなど、けして「貧困」ではないけれども、子どもが幸せに育っているとは思えない現状も多々寄せられています。

国連審査に向けて

 こうした現実の中で、私たちのNGOは国連審査に向け、どこに焦点を絞って訴えるべきかをずっと話し合ってきました。

 「貧困」「格差」が、見逃せないところまで来ていることは重々承知ですが、それでも世界の多くの国々に比べれば、日本はまだまだ豊かな国です。

 飢餓や戦争に喘ぐ国。買春や子どもの労働者搾取が横行する国 。学校も病院も食料もない国々から多くのレポートが寄せられる国連で、「日本の子どもの問題は貧困なんです」と訴えることが、果たして有効なことなのかということを何度も議論してきました。

 そして、そのやり方では、「『貧困』ではないけれども、『貧困をもたらすような競争・格差社会』で幸せに生きられない子どもたちが取りこぼされ、根強く残る『経済的に豊かであれば子どもは幸せなはずだ』という考え方に取り込まれてしまうのではないか」という結論に達しました。

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2009年12月31日

「子どもの貧困」の何が問題か(7)

 いったい「子どもの貧困」の何が問題なのでしょうか? 競争による格差や、自己決定ー自己責任による貧困をもたらす社会で子どもたちは何を奪われているのでしょうか

 それは「人間関係」です。

人間関係を奪われた果てに

 私たち人間は、「あなたは、そのあなたのままで十分価値があるんだよ」と言ってくれるだれかがいなければ絶対に生きていくことはできません。

 たとえどんなに大勢の人に囲まれていたとしても、その存在をまるごと受け止めてくれるだれかがいなければ、私たちの心は空虚なまま。安全感も安心感も持てません。
 子どもであればなおさらです。

 何もできない自分であっても、そのままで抱えてくれる身近なおとながいなければ、子どもは世の中や自分を信じ、「自分は何かをなす事ができる」という自信を持ち、将来への希望も持つことなど、とうていできません。

 こうした人間関係に恵まれなければ、子どもは自らが持って生まれた能力をきちんと伸ばすことができません。

 それどころか、「不遇の身は自分のせい」と早いうちからすべてをあきらめてしまったり、周囲が振り向いてくれるような価値のある人間になろうとして息切れを起こしたり、空気を読みながら必死でキャラをつくったりして、どうにか日々を生き延びるしかなくなります。

 とうてい「自分も他人も幸せに生きられる社会をつくろう」と、自らの力を惜しみなく使えるような調和の取れた人格に成長することなどできなくなってしまいます。

 そして、さらに自分で自分を孤独と絶望へと追い込んで行きます。

 自分を偽り、周囲に合わせることで本当の自分を受け入れてくれる人に会えようはずもないことはわかりきっているのに、いっときの寂しさを埋めるために、演技をしてしまうからです。
 そのあげくに、たとえばある子は無気力や抑うつ状態に陥ったり、ある子は薬物やネットの世界などにハマッていきます。

だから「子どもの貧困」は大問題

 貧困家庭では、親が子どもに目を向ける物理的、精神的な余裕が無いために関係性を築くことができません。一方、競争を勝ち抜いてきた裕福な家庭の親の多くは、情緒的なつながりに価値があると思えないために、子どもが親にぶつけてくる欲求に目を向ける必要を感じられません。

 子どもは生まれ落ちた瞬間から、生き、成長、発達していくために保護やいたわり、理解と言った愛情を必要とするのに、貧困や格差をもたらす日本のような社会ではお金があっても無くても、そんな愛情を得られるような関係性を保障されないまま、子どもは生きていかなければならなくなります。

 貧困・格差社会は、どの子もかけがえのない存在と認められ、今を豊かに生き、調和の取れた人格へと成長、発達する土台となる人間関係を奪います。

 その結果、子どもはさまざまな“症状”を呈し、中には自傷行為や他者破壊に走らざるを得ない者も出て来ます。

 だから「子どもの貧困」は大問題なのです。

一年間、ありがとうございました

 今年も一年間、思うままにブログに綴らせていただき、ありがとうございました。

 おかげさまでブログに書いていた小さなつぶやきが『迷子のミーちゃん 地域猫と商店街再生のものがたり』(扶桑社)として出版されるという幸運にも恵まれました。

 『迷子のミーちゃん』は、子どもの権利条約を通して知り合った仲間や子どもたち、多くのクライアントさんに教えていただいたことが詰まった一冊です。

 こうした本を書くことができたのも、たわいもないつぶやきにつきあってくださった大勢の方々がいらしてこそ、です。

 この場を借りて感謝申し上げたいと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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