2009年10月の一覧

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2009年10月09日

感情はもううざいし要いらない(5)

 話をもとに戻したいと思います。

 本来、生まれたての「子ども」は動物と同様、欲求の塊のはずです。
 子どもは幼ければ幼いほど、「ああして欲しい」「なぜこうしてくれない」「自分はこうしたいのに!」という、たくさんの欲求を持っていて、それをかなえてくれないおとなに対して、生の感情をぶつけてきます。

 びっくりするほど利己的で、他者を顧みようとすることもなく、ただただ「生き延びる」ことに必死。そのあふれんばかりの「生きたい!」という子どもが持つパワーは、ときにおとなを圧倒させるほどです。

 そんな動物にも通じるほどの生命力に満ちあふれた「子ども」という存在から、欲求を奪い、感情を奪い、期待感を奪ったもの・・・それはいったいなんなのでしょうか。

 どうしたら欲求の塊として生まれてきた子どもを、「べつに」という回答を繰り返すしかしないほどにまであきらめの境地へと追い込むことができるのでしょうか。

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バラバラになった自分を抱えて

 このブログの冒頭で書いたBENNIE Kの『モノクローム』を教えてくれた高校生は、「感情なんてもううざいし要らない」というフレーズが好きな妹のことをよく話します。

 プライベートなことが多いので詳しくは書けませんが、その高校生は「妹は学校でも、家庭でも『もっと頑張れ!』『お前はもっとやれるはず』『今の状態はしんどくない。甘えているだけだ』と“励まされて”きた」と言います。

 そんな状態を続けているうちに、妹は「周囲が言う自分」と「自分で感じている自分」のどちらが「本当の自分」なのか分からなくなり、混乱していきます。

 おそらく「周囲の期待に応えたい」という思いと、「そう思っても出来ない」自分へのやるせなさやいらだちもあったのでしょう。

 妹は、本当の自分はどんな自分なのか、自分が感じている感情は本物なのか、自分はどんな人間なのかも分からなくなり、次第に外に出ることも難しくなっていってしまったのです。

 そして、バラバラになった自分を抱えてうずくまる妹が口にしたのが「感情なんてもういざいし要らない」という言葉でした。

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2009年10月16日

感情はもううざいし要いらない(6)

 本来、子どもの思いや願い、欲求は「そのままで」おとなに受け止めてもらえるべきものです。

 おとなから見れば、たとえその内容がどんなにばかばかしくても、社会的にはとうてい認められないことであっても、まず「そうだったんだ」と身近なおとなに受け止め、きちんと応答してもらうことで、子どもは自らの存在価値や安全感を確認できます。

 そんな安心できるおとなとの人間関係があってはじめて、経済的にも能力的にもおとなには及ばない子どもが、自分の人生を自分らしく、豊かに生きていくことができます。

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たとえ「同級生を殺したい」という思いでも

091016.jpg たとえば子どもの思いが、「いじめっこの同級生を殺したい」というような内容だったとしても、です。
 
 子どもは、まず身近なおとなに思いをきちんと受け止めてもらうことで、「自分の辛さに共感し、思いを共有してくれた」と感じることができます。

 そして「自分はひとりぼっちではない」という確信の中で、「もっと現実的でだれも傷つけることなく問題を解決する方法もあるかもしれない」という希望を持つことができます。

 信頼でき、けして自分を裏切らないおとなが自分の思いにちゃんと対応し、一緒になって知恵を絞り、解決に向けて行動してくれることで「相手を殺したいほど辛い状況」を変えていくことができます。
 
 結果として、自らの人生を狂わせてしまうような殺人という破壊的な行為におよぶことなく、もっとずっと建設的に問題を解消することができるのです。

成長発達に不可欠なおとなとの関係性

 こうした身近なおとなとの関係性があることで、まだ人生を自らの力で切り開くことができない子どもであっても、自分らしく、今を豊かに生きることが可能になります。

 また、「困ったときはだれかが助けてくれる」とか、「トラブルが起きても、ちゃんと解決できるんだ」という、他者との関係パターンを学び、やがてその子自身が、困っているだれかがいるときには、その辛さに共感し、手を差し伸べることができる人間ーー他者とつながることができる人間ーーへと成長していきます。

 子どもが本音を隠したり、おとなの顔色を見たりすることなく、どんな欲求でも安心して出すことができるおとなとの関係性は、成長発達の途上にある子どもにとって、無くてはならないものなのです。

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2009年10月27日

感情はもううざいし要らない(7)

 ところが現実には、『感情はもううざいし要らない(5)』で紹介した少女のように、子どもが安心して欲求を出すことができないおとなとの関係性が少なくありません。

 おとなの側が、「こうあるべき」「こう感じろ」「こんなふうに振るまえ」とさまざま子どもに要求し、子どもを混乱させ、子どもから安全感や感情を奪い、うまく成長発達できないようにしてしまっている例がめずらしくないのです。

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新聞への反響

 『東京新聞』(2009年8月23日)には、
 「両親と子どもの四人家族で、男児は習い事もして服装もきちんとしているみかけは『まとも』な家庭から、毎日のようにヒステリックに叱責する母親と泣き崩れる悲痛な男の子の声が聞こえる」
 という隣人からの訴えが載っていました。

 隣人は、その様子にたえかねて何度か行政にかけあったそうですが、外傷などの目に見える虐待が無いと言うことで抜本的な改善に至らないということでした。

 さらに9月23日の同紙には、続々と届くこの記事への反響が載っていました。記事によると「同じような母子がいる」と同様の事例を伝える投書が相次ぎ、中には「これは自分のことではないか」とか「娘の養育態度が記事の事例と似ている」という祖母からの投書もあったそうです。

 この祖母の娘は「孫にピアノや水泳、英語などいくつも習い事をさせ、『命じた勉強をしていない、ピアノの練習が短い』などの理由で怒り、その剣幕に怯える孫に『そんなに怖いならなぜ言うことを聞かないのか』と絶叫する」と言います。
 孫は「いつかママを殺したい」とつぶやいたこともあるとそうです。

ゴミ箱の中で生き途絶えて・・・

 子どもの姿をそのままで受け止めることができず、悲しい事件となってしまうこともあります。

 昨年12月には、都内のあるマンションで両親が2歳半の男の子をゴミ箱に閉じ込め、殺してしまうという事件がありました。

『東京新聞』(9月23日)によると、男の子が生まれた頃、両親は男の子をとてもかわいがっていたそうです。

 ところが男の子は成長が遅く、手がかからなかった姉たちに比べるととても大変な子どもでした。
 母親の愛情は次第に焦燥感に変わり、イライラを男の子にぶつけるようになりました。食事を拒む男の子に何も食べさせなかったり、椅子に縛り付けて無理矢理口に食べ物を押し込んだこともありました。
 
 子育てに無関心だった父親にも「しつけ」に協力するようもとめ、父親が男の子をベッドに縛り付けるなど、事態はエスカレートしていきます。

 事件の日、なかなか寝付かない男の子に腹を立てた両親は、男の子をプラスチック製のゴミ箱に入れてふたを閉め、ポリ袋をかぶせた上にゴムをかけて閉じ込めました。
 両親がふたをあけたのは半日後。男の子は、少量のゴミにまみれて息絶えていたました。

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