2009年09月の一覧
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2009年09月03日
感情はもううざいし要いらない(2)
だって、あれだけ毎日毎日、たくさんの時間を共に過ごしてきた犬です。おしっこやうんちの世話をし、変な物を食べてお腹をこわしたときには添い寝をし、雨の日も風の日も散歩をして、一緒に歩んできた犬です。
何より、「ずーっとこの人と生きていくんだ」と信じて疑わない犬です。
そんなふうに思っている犬が、見知らぬ人たちに車に乗せられ、パピーウォーカーの家を離れるのです。
鼻を鳴らして必死で家族にしがみつく犬の姿が、私の愛犬(ゴールデン・レトリーバー)に重なります。
そこでもうギブアップ。「ああ、もうこれ以上は見ていられない」と、たまらず別の番組に変えてしまいます。
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ワクワク、ドキドキ生きていく?
だから正直言って、パピーウォーカーのもとを離れた盲導犬候補生がどんな毎日を送り、どんなふうに訓練されていくのか私はよく知りません。
でも、「きっと、一時の別れは辛くても、その後、新しい環境のもとでかわいがられ、愛情を注がれて生きていくんだろうな」と思ってきました。
人間がとにかく大好きで、いくつになっても子犬のように私にじゃれついてくるわが家の犬(もうすぐ9歳だと言うのに、道行く人からは「3歳くらいですか?」と言われます)を見つめながら、「きっとこのコと同じように、『人間と一緒に何かをすることが大好き!』と思って、毎日、ワクワク、ドキドキしながら生きていくんだろう」と、漠然と考えていたのです。
ホームで出会った盲導犬
実はこの前、駅のホームでたまたま盲導犬を見かけました。
ちょうど事故があり、ホームはかなりの混雑。電車の発着状況を告げるアナウンスが、途切れることなく流れ、駅はいつも以上にざわついています。
そんなホームでただひたすらジーッとして、盲導犬ユーザーさんの傍らにいる盲導犬。その周囲では女のコたちが「かわいいっ」とささやき、こっそり写真撮影などしていました。
何しろお仕事中の盲導犬に声をかけたり、触ったりするのは御法度。まかり間違って集中力が途切れ、うまくユーザーさんを誘導することができなくなってしまっては大変です。
だから私も、女のコたちに紛れながら、刺激を与えないようにちょっと距離をおいて、その様子を観察していました。
「こんなに人がいっぱいいるのにあんなに落ち着いていてすごいなぁ」
「うちの犬だったら、こんな喧噪の中であんなにジーッとしていられないよなぁ」
「やっぱりちゃんと訓練を受けると周囲の刺激にも動じなくなるんだなぁ」
最初は、ひたすらそんなふうに感心しながら見ていました。
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2009年09月16日
感情はもううざいし要いらない(3)
それからしばらくの間、私はその盲導犬の動きを観察していました。
なかなか電車が来なかったので、その間たっぷり15分はあったでしょうか。盲導犬は(当たり前のなのでしょうが)微動だにせず、ただジーッとユーザーさんの足下でうずくまっていました。
満杯の電車を見送り、次の電車に乗るつもりなのでしょう。ユーザーさんはようやく到着した電車には乗ろうとしませんでした。
そんな二人(一人と一頭?)の横をすり抜け、電車に乗り込むと、ちょうどホームで待っている盲導犬と窓ガラスを挟んで真っ正面に向き合うような格好になりました。
ホームに停車したままの電車から、盲導犬に「お疲れ様」とアイコンタクトでメッセージを送ろうとしたときのことです。うつむいて寝そべっていた盲導犬が、ふいに面を上げました。
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このコの一生は、幸せなんだろうか?
「いったい何?」
私は思わず、そうつぶやきそうになってしまいました。
ごった返す人混みにもまれ、人々が興味津々の眼差しを注いでくる中心にいながら、盲導犬はまるで何一つ認識していないかのような目をしていました。
多くのものに囲まれながら、まるで別世界にいるかのようにただ空を見つめる盲導犬。・・・そこにあったのは、何かに注目したり、興味を持ったり、自ら動こうとしたりするという能動的な動きをもたらす感情をすべてどこかに消し去ったかのような瞳だったのです。
盲導犬がいちいち周囲の状況に反応していたらしょうがないということはよく分かっています。どんなときも冷静に、自らの仕事を遂行できる犬でなければ盲導犬にはなれないことも知っています。
でも、その何も見ていないかのような瞳を見た瞬間、
「このコの一生は、幸せなんだろうか?」
そんな思いが頭をよぎりました。
「見ていたくない」と思いながら・・・
私のすぐ横では、ホームで盛んに盲導犬の写真を撮っていた若い女のコたち数人が「あー、顔あげた」「カワイイー」「いいなぁ。おとなしいねー」と声をあげていました。
「本当にそう思う?」
思わず尋ねたくなってしまう思いを抑え、私は電車が発車するまでの間、ずっと盲導犬の顔を見つめていました。
こちらが切なくなってくるその瞳を「見ていたくない」と思う反面、どこかで似た瞳に出会ったことがあったような気がして・・・。
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2009年09月30日
感情はもううざいし要いらない(4)
動き出す電車の中で遠くなっていく盲導犬を見つめながら記憶のページをめくっていくと・・・と思い当たった顔がありました。
児童養護施設の子どもたちのインタビュー集(『子どもが語る施設の暮らし2』明石書店)をつくったときに出会ったある中学生の男の子でした。
「今の生活をどう思う?」
「何かおとなに言いたいことある?」
「不満に思っていることは?」
いろいろと尋ねても、その子はただ「べつに」という回答を繰り返すだけ。私と目を合わせようともしませんでした。
それでも質問を重ねていくと、その子はうんざりしたようにため息をつき、こう言ったのです。
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「不満を言ったら何か変わるんですか? 何かしてくれるんですか?」
そのときの男の子の瞳。何も見ていない、何も感じていない、何も考えようとしない瞳・・・。
それはさっき出会った盲導犬に似ていたように思えました。
「欲求や感情をすべて封じ込め、「自分」というものを出さず、与えられたもの(役目)だけを受け止めている」
そんな雰囲気の漂う瞳の色でした。
誤解のないように
誤解のないよう述べておきたいのですが、盲導犬の役割や存在を否定するつもりはまったくありません。
しかし、前にも書いたようにわが家のやんちゃ娘(愛犬)や、テレビで見たパピーウォーカーと暮らしているときの盲導犬候補犬の生き生きとした表情と、ホームで出会った盲導犬の表情があまりにも違うことが不可思議でした。
あの好奇心がいっぱい詰まった欲求の塊のような子犬が、どんなふうに成長したらこんなにも周囲に影響されず、自分から関心を示さず、ひたすらユーザーさんに忠実な犬になるのかというのが気にかかったのです。
もっと言えば、「育ち方によっては人間にも同じことが起きるのだろか?」という疑問が、そこにはありました。