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そんな「安全基地が欲しい」というあたりまえのこと・・・たとえば、疲れたときに心と体を休め、傷ついたときに慰めてもらい、困ったときに助けてもらうが否定される社会の中で、私たちはいつも臨戦態勢で生きることを強いられています。

だから、とてもではないけれども自らの素顔を他人にさらすことなどできません。

競争によって利益を奪い合うことを強いられる世の中で、どうにかやっていくことに汲々としている私たちにとって、本当はちっぽけでしかない自分の姿を見せることは、かなり勇気のいることです。

生き延びるためになるべく多くのものを手に入れ、そんな自分を支えるだけでせいいっぱい。
だから、だれかに何かを「与える」ことも苦手です。

ちっぽけな自分をさらけ出し、「与える」ことによってこそ、他者とのつながりが生まれ、その相手が計り知れないほどの豊かなものを返してくれるということ。そうした関係性こそが、ひとりで生きていくことはできない私たちを孤独の淵から救い出してくれるのだということが、なかなか信じられません。

それどころか、「与える」対象のことを「ただの厄介者」のように思ってしまうこともよくあります。

「小さな存在」が持つ力

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そんな私たちに、ミーちゃんは「人生を幸せに生きるためには何が必要なのか」を教えてくれました。

「奪う」よりも「与える」方が豊に生きられること、だれかを「疑う」よりも「信じる」方が安全に生きられること、素顔のままで他者と向き合うことの大切さを思い出させてくれました。

そして、効率的で合理的、きれいな街よりも、飼い主のいない犬や猫が安心して暮らせるような“隙間”や、飾らない人付き合いのある街の方がずっと住みやすいことも教えてくれました。

ミーちゃんは、電柱やポストのように「ただそこにいる」ことで、地域の人々をつなげ、人の輪を広げてくれました。
今の社会で破綻せずに生きていくために世間で通用する“ちゃんとした人間”であろうと頑張る私たちに、ありのままの自分に戻るチャンスをくれました。そうやって「人は損得を忘れてだれかとつながっていけるのだ」という可能性を示してくれたのです。

そう、「世話をされなければ生きられない存在」であるミーちゃんは、私たち人間がだれかと安心できる関係性を持って生きていくためには小さな存在が必要だということ。小さな存在には、私たちを孤独の中から救い出してくれる力があることを証明してくれたのです!(続く…

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image090814.jpg これは本当にすごいことです!

何度もこのブログでも書きましたが、「何でも自分でできる『自立した人間』」などというものは、今の社会が創り出したフィクションに過ぎません。

私たち人間は、みな「だれかとつながりたい」という欲求を持って生まれてきます。
赤ちゃんが、たとえお腹が空いていなくても「側にいて欲しい!」と、温もりを求めて泣くことを思い出してください。

特定のだれか、自分に安心感・安全間をくれるだれかと「つながっている」という感覚は、一人生まれ、死んでいく私たち人間が、人間存在として抱えている根源的な孤独や不安から解放されるためになくてはならないものです。


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感情を揺さぶるミーちゃん

そんな「人間らしさ」を否定しようという社会の中で、ミーちゃんは「弱い存在」であることで、私たちの心に眠る「人間らしい」感情を呼び起こしました。

「放っておけない」
「かわいそう」
「なついてくれてかわいい」

そんな感情をわき起こさせ、私たちが生まれながらに持っている「ひとりぼっちは寂しいよね」という共感能力を引き出し、「何もしてあげられなくてごめんね」という罪障感を喚起し、「何かしてあげたい」という「与える」素晴らしさを思い出させてくれたのです。

強くてポジティブで、人を蹴落としてでも、上を目指して邁進できる「自立した人間」が理想とされる社会。弱音を吐くことが「負け」につながるような社会。
「人間らしい」ものよりも、物質的なものが重視され、みんなが疲弊し、感情にふたをしなければ生きていけないような社会。

そんな今の社会では、ミーちゃんのような「弱い存在」は、なくてはならないものなのです。

「自立した人間」は本当に理想?

私たちは本当に、すべてをお金で解決し、ひとりで何でもできる「自立した人間」として生きていきたいでしょうか?
だれにも頼らず、仮面をかぶって、競争に勝ち残り、ひとりぼっちで豊かな生活を送りたいでしょうか?

ミーちゃんのような猫が生きられない、すべてが合理的できれいに整備された街に住みたいでしょうか?
人とのつながりを断ち、監視カメラやパトロールに守られ、ルールでがちがちに縛られた社会に暮らしたいでしょうか?

私たちが必要とする社会とは

きっとそうではないでしょう。
私たちが本当に必要としているのは、どんな小さな存在も安心して生きられる社会です。たとえ経済的な利益は生まなくても「あなたはかけがえのない存在だ」と言ってくれる人が、傍らにいる人生です。

けしてひとりぼっちでは生きられない私たちが暮らしたいのは、そこかしこで飼い主のいない猫がまどろんでいるような街。さまざまなものを許容する余裕があり、お互いに信頼できる関係性がある街。
ミーちゃんのような存在が、人間を信頼しながら、共に生きていくことができる街なのです。

そんないくつも大切なことを教えてくれたミーちゃんが、一日も早く帰ってきますように!

情報は今も募集中です。

「感情はもううざいし要らない」

これは、つい最近、私が知ったBENNIE Kというユニット歌手の歌『モノクローム』の一説です。

びっくりするほど芸能情報にうとい私に、この歌のことを教えてくれたのは、「子どもの声を国連に届ける会」に参加している高校生でした。
「うちの妹が好きな歌」と紹介してくれたのです。

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CA055.jpgパピーウォーカーとは

ところで、話はちょっと横道にそれるようですが、私が「絶対にできない」と思っていることのひとつに、パピーウォーカーというボランティアがあります。

パピーウォーカーは、将来の盲導犬候補の子犬を1年ほど預かり、育てるボランティアです。
その1年の間に、パピーウォーカーは家族の一員として、とにかくありったけの愛情を込めて子犬をかわいがります。
いろいろな場所に一緒にでかけ、驚いたり、喜んだり・・・そんなたくさんの経験を子犬にしてもらいます。

人間と何かをする楽しさを知ってもらうことで、子犬の中に「人間は信用できる」という人間との信頼関係を築きます。
この信頼関係が、その子犬が盲導犬となったときに「人間のために生きることは楽しい」と思え気持ちの基礎となるのだそうです(詳細は財団法人日本盲導犬協会 – パピーウォーカーについて)。

平常心では見られない子犬との別れ

たぶん、テレビのペット番組などで、パピーウォーカーの仕事を観たことがある人も多いことでしょう。
ドラマ化された『盲導犬クィールの一生』は、動物好きを大きな感動の渦に巻き込みました。

でも、私はどうも苦手です。
「今日こそはがんばって最後まで見よう」と決心するのですが、どうしても最後まで見られません。

見られるのは、パピーウォーカーとなった一家が楽しく子犬と過ごしているシーンまで。預かってから1年経ち、子犬を盲導犬協会に返す場面になると、もう、とても平常心では見ていられません。(続く…

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