2009年06月の一覧

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2009年06月04日

生育歴が無視される裁判員制度(5)

こうした裁判員制度によって、少年法も骨抜きになってしまう可能性があります。
 少年法は、もともと教育基本法や児童福祉法と同じように、子どもの成長発達のためにつくられた法律です。

 だから、いろいろな事情でうまく成長発達することができず、その結果として罪を犯した少年のやり直しを目的としてつくられています。
 刑罰を課すことよりも、少年を教育・保護し、行き直すために援助すること・・・つまり、「要保護性」に力点が置かれています。
 
 そのため、成人の場合よりも生育歴や生育環境がていねいに検討されるケースが多くありました。

 ところが、今まで述べてきたように、裁判員制度にともなって始まった公判前整理手続では、「何をやったのか」が中心になります。たとえ少年であっても、生い立ちや犯行動機が十分に検討されなくなるのです。

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削られる生育歴の調査

 裁判員制度と関係する少年事件は、家庭裁判所(家裁)から検察官に送致され、刑事裁判に付される事案です。こうしたケースを「逆送」と呼びます。
 2000年の少年法「改正」で、殺人など重大事件を起こした少年は原則として逆送されることになりました。
 現在、およそ年間に30件ほどあります。

 こうした逆送される少年事件の事案で、たとえば家裁では「どうせ逆送されるのだから、刑事裁判の方で生い立ち等は調べればよい」と思われ、逆送された後の公判前整理手続では「家裁で調査されているはずなんだから」と、それまでの生活環境などの証拠調べに時間をかけようとしなくなることが起こり得ます。

調査官の存在意義もなくなる

 裁判官や検察官、弁護士など、少年事件に携わる法律家の研修を行う最高裁判所所司法研修所でも、裁判員制度導入に向けて「これまで重視されてきた成育歴や素質などの調査記録を証拠とせず、法廷での少年の供述内容で判断した方が望ましい」という研究報告をまとめています(2008年11月)。

 また、今まで「要保護性」を守る立場から、犯行に至る経緯や生い立ちなどを社会的・心理学的に調査して社会記録としてまとめてきていた家庭裁判所調査官(調査官)の役割も大きく変わります。
 
 調査官の研修でも、非行につながる環境要因などは簡略化して、社会記録の中の調査票に「刑事処分相当」との意見を「簡潔に」記すようもとめられているというのです。

 私の知り合いのある調査官は、その事態をこう危惧しています。

「そんな調査票しか書けなくなれば、要保護性を守るはずの調査官の専門性も、存在意義も失われてしまう。調査官の仕事の基本は、どんな罪に問われた子にも、『いいところ』を見つけて受け入れ、その子の思いに寄り添った調査票を書くこと。子どもは『理解された』という体験があってはじめて、罪を反省し、刑も受け入れることもできる。そこが省略されてしまえば『どうせ俺はワルだ』と開き直り、再び罪を犯す子どもが増えるだけだ」

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2009年06月12日

生育歴が無視される裁判員制度(6)

 確かに2000年の少年法「改正」以降、「刑罰を課すのではなく、少年を教育・保護し、生き直しを援助する」という少年法の理念はすでに形骸化しつつあります。

 しかしそれでも今までは、弁護人が頑張ればどうにかできるという可能性も残されていました。ところが裁判員制度が導入されることで、そうした可能性さえも無くなってしまいます。

 私がよく知っている法学者は言います。

「要保護性を守る立場の調査官が『刑事処分相当』と言っているのだから、生育歴が争点になって『少年の生き直しを援助しよう』なんて結果が出ることはあり得ない。逆送された少年が刑事裁判で『保護処分相当』となれば家裁へと差し戻すことを定めた少年法55条も空文化してしまう」

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刑罰のパターン化

 百歩譲って、それでも私たちの社会にもたらすメリットの方が大きければいいかもしれません。
 こうした裁判員制度の導入によって、裁判に民意が反映され、犯罪が減り、被害者やその遺族にあたる方々が救われるのであれば、多少のことは目をつぶる必要があるかもしれません。

 でも、残念ながら、そうはならないでしょう。

 たとえば「民意を裁判に反映する」と言われても、法律の専門家ではない私たちには、人を裁く基準など分かりようもありません。意見など述べようもないでしょう。

 しかも評決の際には、法律の専門家である裁判官が「過去の似たような事件でどんな判決が下されたか」という量刑相場を示すとも言われています。
 つまり専門家が「この程度の犯罪であれば、こうした判決が妥当ですよ」と、提示するわけです。専門家でない私たちが、これに異を唱えたり、疑問を呈したりするには、かなりの知識と勇気が必要でしょう。

 しかも、裁判で争われたのは「やったこと」だけ。被疑者が「なぜ犯行に及んだのか」という背景や、被疑者が抱える個別の事情が分からないのですから、疑問を持つ材料すらありません。

 たとえ量刑相場が示されなかったとしても、「○人を殺しているから死刑」「致死だったら無期懲役」など、刑罰をパターン化して当てはめる以外ないでしょう。

厳罰化も進む

 そして裁判員が下す判決は、量刑相場より重いものになるはずです。

 裁判員制度では、「専門家ではない裁判員にもわかりやすい裁判」を合い言葉に、検察側はビデオを使ってことさらに裁判をショーアップしたり、裁判員にも届きやすいプレゼンテーションの手法などを駆使して、「被疑者がいかにひどい人間か」と強調したり、裁判員の情に訴える証拠を出してくることは必至だからです。

 今年2月18日に東京地裁で行われた女性のバラバラ殺人事件(注)の公判で、検察側が被害者の肉片の映像まで見せたことを思い出してください。

 昨年十二月にスタートした被害者参加制度も、検察側を助けることにつながります。
 この制度によって、裁判員は被害者やその家族が語る辛さや苦しさみを直接、聞かされることになります。被告人の生い立ちが見えなくなるのとは逆に、大切に育てた我が子の半生を涙ながらに語る遺族の姿などをリアルに見せられることになるのです。

 裁判員の心に、被疑者を「許せない」と思う気持ちがわき、「厳罰に処すべきだ」という思いが喚起されても、なんら不思議はありません。

 こうした中で裁判員が下す判決を、はたして「民意を反映した国民の常識」と呼んでいいのでしょうか?

注)昨年4月に起きた東京都江東区のマンション自室で同じマンションの住人である女性を殺害し、遺体を切断して捨てたとされる事件

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2009年06月18日

生育歴が無視される裁判員制度(7)

 裁判員制度は、被害者の方々も救いません。

 ある調査官は、大勢の被害者やその家族と接してきた経験から、その理由をこんなふうに話してくれました。

「被害者やその遺族が知りたいのは、『自分の大切な人が、なぜそんな目に遭わなければいけなかったのか』ということ。その疑問に応えるためには、被告人がどんなふうに育ったどんな人間なのか、なぜ犯行に及んだのか、などが明らかにされる必要があります」

 ところが、裁判員制度にともなう公判前整理手続では、まさにそこの部分が削られることになるのです。

「そんなことになれば、被害者側の傷はもっと深くなってしまう」と、この調査官は心配します。

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被害者参加制度も役に立たない

 被害者参加制度などあっても何の役にも立ちません。

 裁判員制度導入に先立ち、被害者参加制度を検証した新聞記事(『朝日新聞』3月3日)「何のための制度なのか」などという、被害者側の憤りが綴られていました。また、被害者側の精神的負担が大きすぎるという意見も述べられていました。

 こうした疑問の声が上がるのも当然のことです。そもそも被害者参加制度に基づき、被害者が公判で述べる意見は「聞き置かれる」だけ。証拠として採用されるわけでもありません。

 それにもかかわらず、なぜ被害者参加制度が必要なのでしょう。
 知人の法学者は、こう分析します。

「今まで放置されてきた被害者の恨みを被疑者にぶつけるかたちでガス抜きさせ、それに共鳴する裁判員という装置を用意しただけ。被害者感情さえ厳罰化に利用されている」

被害者参加制度は「ガス抜き」

 言葉は良くないかもしれませんが、「ガス抜き」という表現はまさにぴったりだと思います。

 国民の社会の不満や不安が高まったときに、国の外に敵をつくったり、国内に異端者としてのスケープゴートを用意するのと同じことです。
 人々の鬱積した感情は、スケープゴートにぶつけることで緩和されます。本当の意味での解決にはつながらななくても、いっとき「救われた気持ち」にはなるのです。

 おかげで「社会をつくっている側」(権力を持っている側)は、本来の問題に手をつけなくてすみます。
 
 不満や不安の原因は、たとえば社会保障が減らされることであったり、仕事が無くなることであったり、経済格差が開いていることであったりするはずなのに、その原因に触れることなく、自分たちにとっては都合のいい今の社会を温存していくことができます。

 これを裁判に置き換えれば、被害者参加制度の役割が見えてきます。
「ガス抜き」が出来れば、本当に被害者側が救われるために必要な社会整備はしなくてすみます。

「なぜ犯罪者が生まれるのか」という部分にも目隠しです。
 そうして犯罪者が生まれないようにするための社会保障もしないまま、「こうやって権力は悪い奴をちゃんと厳罰に処していますよ。市民を守っていますよ」という“ふり”ができます。

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2009年06月26日

生育歴が無視される裁判員制度(8)

 しかも裁判員制度の導入によって犯罪が減ることはけしてないのです。
 前々回に書いた調査官の方の言葉をもう一度紹介したいと思います。

「子どもは『理解された』という体験があってはじめて、罪を反省し、刑も受け入れることもできる。そこが省略されてしまえば『どうせ俺はワルだ』と開き直り、再び罪を犯す子どもが増えるだけだ」

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“問題児”と重なる姿

 この調査官の言葉は、私が出会ってきたいわゆる“問題児”と言われる子どもの姿とも重なります。

 バイクの無免許運転などで何度も補導されていたある少女。街行く人がみんな振り返るほどに派手な化粧や服装で夜の街を徘徊していた少女。万引きが止められず、教護院(現在の児童自立支援施設)に入った少年・・・。

 求め、信じたあげくに裏切られるかもしれないという恐怖。たとえ“まっとうな”人間になっても自分を認めてくれる人と出会えないかもしれないという絶望観。
「もしかしたらどこかに、そんな自分を理解し、手を差し伸べてくれる人がいるかもしれない」
 という、淡い期待を断ち切ろうと、どんどん自分を周縁へと追い込んで行きます。

無意識のうちに

 それはたとえば、子ども時代に性的虐待を受けた人が、わざと危険な場所に身を置いて再び性被害に遭ったり、水商売の世界に飛び込んだりするのと似ています。

 救いを求めながらも、「自分には救われる資格などない」と思い知らせるため、そして「それは自分のせいなんだ」と納得させるため、わざと奔放な行動に出ては危ない目に遭い、傷の上塗りをしていきます。

 いくら本人が「止めよう」「どうしてこんなことになってしまうんだ」と思っても、自分に寄り添ってくれる人を得て、その問題と向き合うようにならない限り、行動をコントロールすることはできません。

 知らず知らずのうちに、手を差し伸べようとした相手があきれ果て、見捨てるように仕向けてしまいます。相手の期待を裏切っては疲れさせ、差し伸べられた手を振り払って相手が去って行くように振る舞ってしまうのです。(続く…)

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