2009年02月の一覧

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2009年02月03日

家族って?(3)

 当時、私は月に数回ほど東京の北東部にあるキリスト教会が行っていたホームレス支援ボランティアのお手伝いをしていました。
 週末には公園でおにぎりやお味噌汁を配り、ウィークデーの夜には川沿いのダンボールハウスやテントを回り、そこに暮らす方の体調確認などをしていたのです。

 ホームレスの方々の中には、何度か顔をあわせるうちに自らの過去や思い出話をしてくれる方もいらっしゃいました。

 もともとは冬の時期だけ出稼ぎに来ていた東北出身の人、「いなかでコツコツ働くよりも」と、日銭の稼げた時代に東京まで流れて来た人、50代を過ぎて日雇いの現場が無くなってしまった人、体調を壊して働けなくなった人・・・いろいろな境遇の人がいました。

===
天涯孤独の人はめったにいなかった
 
 でも、天涯孤独という人はめったにいませんでした。

「郷里には弟夫婦がいて・・・」
「娘とはもう10年以上も会っていない・・・」
「親もいい年だから心配だ・・・」

――そんな話が、チラホラと出てくるのです。

「気になっているなら連絡を取ってみたらどうですか?」

 私がそう言うと、「そんなことできるわけがない。こんな姿を見せられるわけないじゃないか!」と、みな頑なに拒みました。

 中でもいちばん私の胸を打ったのは、川の向こう岸を指し、笑いながら話してくれたおじさんです。おじさんは、こう言ったのです。

「俺の実家はね、この橋のすぐ向こう側にあるんだ。両親は死んで、今は弟が家を継いでいる。まさか俺がこんなところでテント暮らしをしているとは思ってもいないだろうね」

にじむ切なさ

 寂しそうに笑うおじさんの顔には、「どうにか一旗揚げたら」「故郷に錦を飾るまでは」「妻や子にいい生活をさせてあげられるようになるまでは」・・・そんなふうに頑張り続けて、ここまで来てしまった多くの人々の哀しみが重なって見えました。

「もう少し」「あともう少し」・・・そう思っているうちに、流れて行ってしまった長い年月。意地を張り、「いつかきっと」と思っているうちに、深まってしまった肉親との溝。

「今さら帰れない」と話す彼らの横顔には、夫婦だからこそ、親子だからこそ、肉親だからこそ、素直に弱みを見せることができなかった、そのままの自分を出すことができなかった切なさがにじんでいました。

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家族って?(3)

 当時、私は月に数回ほど東京の北東部にあるキリスト教会が行っていたホームレス支援ボランティアのお手伝いをしていました。
 週末には公園でおにぎりやお味噌汁を配り、ウィークデーの夜には川沿いのダンボールハウスやテントを回り、そこに暮らす方の体調確認などをしていたのです。

 ホームレスの方々の中には、何度か顔をあわせるうちに自らの過去や思い出話をしてくれる方もいらっしゃいました。

 もともとは冬の時期だけ出稼ぎに来ていた東北出身の人、「いなかでコツコツ働くよりも」と、日銭の稼げた時代に東京まで流れて来た人、50代を過ぎて日雇いの現場が無くなってしまった人、体調を壊して働けなくなった人・・・いろいろな境遇の人がいました。

===
天涯孤独の人はめったにいなかった
 
 でも、天涯孤独という人はめったにいませんでした。

「郷里には弟夫婦がいて・・・」
「娘とはもう10年以上も会っていない・・・」
「親もいい年だから心配だ・・・」

――そんな話が、チラホラと出てくるのです。

「気になっているなら連絡を取ってみたらどうですか?」

 私がそう言うと、「そんなことできるわけがない。こんな姿を見せられるわけないじゃないか!」と、みな頑なに拒みました。

 中でもいちばん私の胸を打ったのは、川の向こう岸を指し、笑いながら話してくれたおじさんです。おじさんは、こう言ったのです。

「俺の実家はね、この橋のすぐ向こう側にあるんだ。両親は死んで、今は弟が家を継いでいる。まさか俺がこんなところでテント暮らしをしているとは思ってもいないだろうね」

にじむ切なさ

 寂しそうに笑うおじさんの顔には、「どうにか一旗揚げたら」「故郷に錦を飾るまでは」「妻や子にいい生活をさせてあげられるようになるまでは」・・・そんなふうに頑張り続けて、ここまで来てしまった多くの人々の哀しみが重なって見えました。

「もう少し」「あともう少し」・・・そう思っているうちに、流れて行ってしまった長い年月。意地を張り、「いつかきっと」と思っているうちに、深まってしまった肉親との溝。

「今さら帰れない」と話す彼らの横顔には、夫婦だからこそ、親子だからこそ、肉親だからこそ、素直に弱みを見せることができなかった、そのままの自分を出すことができなかった切なさがにじんでいました。

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2009年02月12日

家族って?(4)

 ホームレスとして生きざるを得ない寂しさ。そして孤独・・・。
 その現実を痛感したこんなエピソードもあります。

 ホームレスや日雇い労働者、路上生活者と呼ばれる方々が多く暮らすある町の繁華街。そこを夜の8時過ぎくらいに、もうかなり長くホームレス支援活動をしているボランティアさんと見回っていたときのことです。
 季節は冬。行き倒れになっている方に声をかけたり、救援をするというお仕事でした。

 飲み屋はまだ空いているのに、店の中には空席が目立ちました。道端に座り込んで飲んでいる人もほとんどいません。ときに泥酔した人が倒れていたり、かなりいい気分で歌ったり、だれにというわけでなく演説をぶったりしている人はいましたが、町全体としては「もう真夜中」という雰囲気でした。

===
ボランティアさんの問い

 その静まりかえった様子を見た私が「みなさん、ずいぶん早めに切り上げるんですね」と言うと、ボランティアさんは「彼らは朝が早いですから。日雇い現場の手配氏が来るのは早朝ですよ」と答えました。

 その言葉に「なるほど」とは思ったものの、「ホームレスの方にはアルコールのトラブルを抱えている方が多い」と聞いていた私はどこか腑に落ちませんでした。
 だから続けて「なんとなく、みなさん夜通し飲んでいらっしゃるようなイメージを持っていました」と軽い気持ちで言いました。
 すると、ボランティアさんは足を止め、私の方を向き直り、こう問いかけてきたのです。

「あなたはどんなときにお酒を飲みますか?」

 そんなことを聞かれるとはまったく思っていなかった私は、一瞬黙り込んでから、少し考えて次のように答えました。

「だれかともっと親しくなりたいとき・・・たとえば親しい人と楽しい時間を過ごすときとか、友達と騒ぐときとか、同じ職場の人とコミュニケーションをとるときとか・・・」

 すると、ベテランさんは静かにこう言ったのです。

「今、あなたが言った関係性のたったひとつだけでも、彼ら(ホームレスの方々)は持っていますか?」

辛いことを忘れるために飲む

「彼らはだれかと親しくなったり、楽しむためにお酒を飲むんじゃない。辛い今を忘れるために飲むんですよ。酔って現実を忘れるための酒なら、短い時間の方がいいでしょう?」

 その言葉を聞いたとき、私は金縛りにあったように立ち尽くすしかありませんでした。ただ涙だけが、とめどなくあふれては頬をつたい、落ちていくことを感じながら・・・。
 路上や簡易宿泊所で、語りかける人も、待つ人もいない。ひとりぼっちで、ただ今日を生きる彼ら。その圧倒的な孤独感が、一気に襲いかかってきたようでした。

 今、振り返れば、それは私が“人と人との関係性の重要性”というものを実感した最初の瞬間だったのかもしれません。

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家族って?(4)

 ホームレスとして生きざるを得ない寂しさ。そして孤独・・・。
 その現実を痛感したこんなエピソードもあります。

 ホームレスや日雇い労働者、路上生活者と呼ばれる方々が多く暮らすある町の繁華街。そこを夜の8時過ぎくらいに、もうかなり長くホームレス支援活動をしているボランティアさんと見回っていたときのことです。
 季節は冬。行き倒れになっている方に声をかけたり、救援をするというお仕事でした。

 飲み屋はまだ空いているのに、店の中には空席が目立ちました。道端に座り込んで飲んでいる人もほとんどいません。ときに泥酔した人が倒れていたり、かなりいい気分で歌ったり、だれにというわけでなく演説をぶったりしている人はいましたが、町全体としては「もう真夜中」という雰囲気でした。

===
ボランティアさんの問い

 その静まりかえった様子を見た私が「みなさん、ずいぶん早めに切り上げるんですね」と言うと、ボランティアさんは「彼らは朝が早いですから。日雇い現場の手配氏が来るのは早朝ですよ」と答えました。

 その言葉に「なるほど」とは思ったものの、「ホームレスの方にはアルコールのトラブルを抱えている方が多い」と聞いていた私はどこか腑に落ちませんでした。
 だから続けて「なんとなく、みなさん夜通し飲んでいらっしゃるようなイメージを持っていました」と軽い気持ちで言いました。
 すると、ボランティアさんは足を止め、私の方を向き直り、こう問いかけてきたのです。

「あなたはどんなときにお酒を飲みますか?」

 そんなことを聞かれるとはまったく思っていなかった私は、一瞬黙り込んでから、少し考えて次のように答えました。

「だれかともっと親しくなりたいとき・・・たとえば親しい人と楽しい時間を過ごすときとか、友達と騒ぐときとか、同じ職場の人とコミュニケーションをとるときとか・・・」

 すると、ベテランさんは静かにこう言ったのです。

「今、あなたが言った関係性のたったひとつだけでも、彼ら(ホームレスの方々)は持っていますか?」

辛いことを忘れるために飲む

「彼らはだれかと親しくなったり、楽しむためにお酒を飲むんじゃない。辛い今を忘れるために飲むんですよ。酔って現実を忘れるための酒なら、短い時間の方がいいでしょう?」

 その言葉を聞いたとき、私は金縛りにあったように立ち尽くすしかありませんでした。ただ涙だけが、とめどなくあふれては頬をつたい、落ちていくことを感じながら・・・。
 路上や簡易宿泊所で、語りかける人も、待つ人もいない。ひとりぼっちで、ただ今日を生きる彼ら。その圧倒的な孤独感が、一気に襲いかかってきたようでした。

 今、振り返れば、それは私が“人と人との関係性の重要性”というものを実感した最初の瞬間だったのかもしれません。

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2009年02月20日

家族って?(5)

 人はだれの助けも借りず、支えもないままに、たった一人で生きていけるほど強い生き物ではありません。

 確かに今の日本において、過酷な競争や生き残りレースにさらされずに生きることは困難です。でも、だからこそよけいに、だれもがホッと出来る場所、弱さを見せても安全な相手、自分をきちんと抱えてくれるだれかを必要としているのではないでしょうか。

エネルギーの“もと”を生み出すのが“家族”

「ネットから卒業すれば幸せになれるという人が居ます 
私の唯一の居場所を捨てれば幸せになれるのでしょうか
 すなわち、死ね、ということなのでしょう」

 そう記したのは、昨年6月に起きた秋葉原事件(7人が死亡、10人が重軽傷)の容疑者でした。
 彼もまた、安全な場所を手に入れることなくおとなになった孤独な人間でした。

===
 そんな彼のネットの書き込みからは、仮想の関係性の中で、どうにか日々をつないできた切ない人生が見えてきました。
 そこには、人が人らしく、日々を送り、希望を捨てずに生きていくためには「リアルな人とのつながりから生まれるエネルギーが必要」という切実なメッセージがあふれていたのです(「絶望と自殺」参照)。

 私は、こうしたエネルギーの“もと”を生みだし、日々、エネルギーを交換し合い、安心感や安全感を保障してくれる関係性を提供する居場所となるものが“家族”だと思います。
 逆に言えば、たとえ肉親であっても、夫婦であっても、そうした関係性がなければもう、それは“家族”とは呼べないのではないかと思うのです。

『わたしたち里親家族』の出版にかかわって

090220.jpg まったく別のかたちで、そのことを深く感じたことがあります。

 昨年、『わたしたち里親家族!―あなたに会えてよかった』(明石書店)という本の出版に携わり、里親家庭を尋ね、インタビューをさせていただいたときのことです。

 私がお会いした里親さんたちは、養子縁組を目的とした里親ではなく、家庭で暮らすことが出来ない子どもたちを一定期間養育する養育里親の方々でした。

 戦争孤児が多かった時代と違い、現在、里親制度(家庭的養護)や施設養護を利用している子どもの多くは、ちゃんと親がいます。

 養育家庭里親の方々の役割は、それにもかかわらず親と暮らせない子どもたちを「預かって育てる」こと。

「預かる」わけですから、たとえどんなに日々を共にしても、どんなに愛情をかけても、子どもがどれほど慕っていても、養育家庭の里親は親権者よりも一歩引いた場所にいなければなりません。

“家族”を構築するための作業
 
 しかも、子どもたちの多くは、けして「育てやすい子」ではありません。嘘をつく子、生活習慣が身についていない子、驚くほどに反抗的な子、赤ちゃん返りする子・・・。
 その子の、それまでの体験やおとなとのかかわり、きちんとケアしてもらえなかったことから生じたさまざまな問題を「これでもか」というくらい次々と噴出させます。

 もちろんそれは「安心できる里親さんとの関係があればこそ」のことですが、そう頭で考えて割り切れるほど、生やさしいことではありません。

 里親さんたちは、悩んだり、壁にぶつかったり、ときに「もう里親なんかやめたい」と思ったり・・・。でも「やっぱりこの子がかわいい」という思いに後押しされて、少しずつ子どもと信頼関係を築き、情緒的な絆を深めていました。
 その様子は、まさに“家族”を構築するための作業そのもののように私には見えました。

 血が繋がっていないからこそ、子どもを自分の一部のように思い込むことなく、子どもをひとりの人間として尊重しつつ、エネルギーの“もと”となる関係性を保障しながら、その成長を支えようとする姿勢が見て取れたのです。

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家族って?(5)

 人はだれの助けも借りず、支えもないままに、たった一人で生きていけるほど強い生き物ではありません。

 確かに今の日本において、過酷な競争や生き残りレースにさらされずに生きることは困難です。でも、だからこそよけいに、だれもがホッと出来る場所、弱さを見せても安全な相手、自分をきちんと抱えてくれるだれかを必要としているのではないでしょうか。

エネルギーの“もと”を生み出すのが“家族”

「ネットから卒業すれば幸せになれるという人が居ます 
私の唯一の居場所を捨てれば幸せになれるのでしょうか
 すなわち、死ね、ということなのでしょう」

 そう記したのは、昨年6月に起きた秋葉原事件(7人が死亡、10人が重軽傷)の容疑者でした。
 彼もまた、安全な場所を手に入れることなくおとなになった孤独な人間でした。

===
 そんな彼のネットの書き込みからは、仮想の関係性の中で、どうにか日々をつないできた切ない人生が見えてきました。
 そこには、人が人らしく、日々を送り、希望を捨てずに生きていくためには「リアルな人とのつながりから生まれるエネルギーが必要」という切実なメッセージがあふれていたのです(「絶望と自殺」参照)。

 私は、こうしたエネルギーの“もと”を生みだし、日々、エネルギーを交換し合い、安心感や安全感を保障してくれる関係性を提供する居場所となるものが“家族”だと思います。
 逆に言えば、たとえ肉親であっても、夫婦であっても、そうした関係性がなければもう、それは“家族”とは呼べないのではないかと思うのです。

『わたしたち里親家族』の出版にかかわって

090220.jpg まったく別のかたちで、そのことを深く感じたことがあります。

 昨年、『わたしたち里親家族!―あなたに会えてよかった』(明石書店)という本の出版に携わり、里親家庭を尋ね、インタビューをさせていただいたときのことです。

 私がお会いした里親さんたちは、養子縁組を目的とした里親ではなく、家庭で暮らすことが出来ない子どもたちを一定期間養育する養育里親の方々でした。

 戦争孤児が多かった時代と違い、現在、里親制度(家庭的養護)や施設養護を利用している子どもの多くは、ちゃんと親がいます。

 養育家庭里親の方々の役割は、それにもかかわらず親と暮らせない子どもたちを「預かって育てる」こと。

「預かる」わけですから、たとえどんなに日々を共にしても、どんなに愛情をかけても、子どもがどれほど慕っていても、養育家庭の里親は親権者よりも一歩引いた場所にいなければなりません。

“家族”を構築するための作業
 
 しかも、子どもたちの多くは、けして「育てやすい子」ではありません。嘘をつく子、生活習慣が身についていない子、驚くほどに反抗的な子、赤ちゃん返りする子・・・。
 その子の、それまでの体験やおとなとのかかわり、きちんとケアしてもらえなかったことから生じたさまざまな問題を「これでもか」というくらい次々と噴出させます。

 もちろんそれは「安心できる里親さんとの関係があればこそ」のことですが、そう頭で考えて割り切れるほど、生やさしいことではありません。

 里親さんたちは、悩んだり、壁にぶつかったり、ときに「もう里親なんかやめたい」と思ったり・・・。でも「やっぱりこの子がかわいい」という思いに後押しされて、少しずつ子どもと信頼関係を築き、情緒的な絆を深めていました。
 その様子は、まさに“家族”を構築するための作業そのもののように私には見えました。

 血が繋がっていないからこそ、子どもを自分の一部のように思い込むことなく、子どもをひとりの人間として尊重しつつ、エネルギーの“もと”となる関係性を保障しながら、その成長を支えようとする姿勢が見て取れたのです。

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2009年02月26日

家族って?(6)

 でも、残念ながら「家族になるためには努力が必要」と思っている人は、日本ではそう多くはありません。

 大多数は「夫婦・親子を中心とする近親者によって構成された家族は情緒的なつながりを持っているはず」と思い込み、下手をすると「血が繋がっているのだから何でも分かかり合えるはずだ」とまで思っていたりします。
 戸籍を同じくする家族でさえあれば、思いを口になどしなくても、日々の暮らしという積み重ねなどなくても、すべて通じ合うと、本当に信じていたりします。

 養子縁組ではない養育家庭里親が増えない理由も、そんな幻想を抱く人が多いことに由来しているように思えます。
「家族になろう」と、端から見て頭が下がるほど頑張っている養育家庭の里親さんの中にも、「実の親ではない」ことに引け目を感じているように見える人もいらっしゃいました。

===
『吾亦紅』について

 ところで、すっかり忘れてしまうところでしたが、今回のブログの1回目に書いた『吾亦紅』について、私の意見を簡単に述べておきたいと思います。
 
「親子の絆」や「母への思い」を歌う家族賛歌のように言われる『吾亦紅』。
 でも私には、愛されなかった息子が「それでも母は自分を愛してくれたはずだ」と思い込もうとする叫びの歌のように聞こえます。

 そう思ってしまうのは、歌全体が母親への罪悪感で彩られているからです。この歌は母の死を悼むのではなく、謝罪の言葉で埋め尽くされています。

 だから、聞くたびに思ってしまうのです。「この母子には、生きるエネルギーになるような情緒的なつながりがあったのか?」と・・・。

愛された子どもなら

 もちろん、愛する母親の死は悲しいことです。死を受け入れるまでに時間がかかったり、しばらくの間、悲嘆にくれたりするのは当然のことです。

 けれども、もし母親にきちんと愛された子どもであれば、母親の死に際してこんなにも罪障感と後悔だけを感じるでしょうか? 「自分が悪かった」と責任を引き受け、自分を責め、母親に謝り続けたりするでしょうか?
 
 けしてそうではないはずです。

 本当に母に愛された子どもであれば、母の死を悼むことはあっても、罪悪感を持つことなど考えられません。
 まちがっても、歌詞にあるように「ばか野郎となじってくれ」などと、言うはずもありません。

 愛された子どもであるなら、母の死を十分に悲しんだ後には、その母の死をこれからの人生の糧とすることができるはずです。母親から受けた愛が生きるエネルギーとして、母という存在を過去のものにし、新しい一歩を踏み出すことができるはずです。

 ところがこの歌はまったく逆です。
 息子をいつまでも母との関係の中に定着させ、「俺、死ぬまであなたの子ども」とまで言わせています。
 
 死ぬまで子どもの人生にのしかかり、支配する。未来へのエネルギーを奪い、子どもの生のエネルギーを吸い取り、罪悪感を背負わせ、親への愛にしばりつける。・・・そんな母は、モンスター以外の何ものでもありません。

孤独な人間は減らない

ところがこの歌が家族賛歌のように考えられ、酒場ではサラリーマンが涙しながら歌っているといいます。

 子どもがさっさと親を乗り越え、自分らしく生きられるエネルギーとなる“真の親の愛”ではなく、いつまでも親に定着させ、罪悪感を与える“親の自己満足”を愛情と考える家族(親)神話が続く限り、偽りの家族の中で、偽りの自分しか見せられない孤独な人間は減らないでしょう。

 極限まで追い込まれても、実家を頼ることもできず、自分でどうにかしようと頑張ったあげくに自己破壊を起こしていく人間も減らないでしょう。

 秋葉原事件の容疑者のように・・・。

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家族って?(6)

 でも、残念ながら「家族になるためには努力が必要」と思っている人は、日本ではそう多くはありません。

 大多数は「夫婦・親子を中心とする近親者によって構成された家族は情緒的なつながりを持っているはず」と思い込み、下手をすると「血が繋がっているのだから何でも分かかり合えるはずだ」とまで思っていたりします。
 戸籍を同じくする家族でさえあれば、思いを口になどしなくても、日々の暮らしという積み重ねなどなくても、すべて通じ合うと、本当に信じていたりします。

 養子縁組ではない養育家庭里親が増えない理由も、そんな幻想を抱く人が多いことに由来しているように思えます。
「家族になろう」と、端から見て頭が下がるほど頑張っている養育家庭の里親さんの中にも、「実の親ではない」ことに引け目を感じているように見える人もいらっしゃいました。

===
『吾亦紅』について

 ところで、すっかり忘れてしまうところでしたが、今回のブログの1回目に書いた『吾亦紅』について、私の意見を簡単に述べておきたいと思います。
 
「親子の絆」や「母への思い」を歌う家族賛歌のように言われる『吾亦紅』。
 でも私には、愛されなかった息子が「それでも母は自分を愛してくれたはずだ」と思い込もうとする叫びの歌のように聞こえます。

 そう思ってしまうのは、歌全体が母親への罪悪感で彩られているからです。この歌は母の死を悼むのではなく、謝罪の言葉で埋め尽くされています。

 だから、聞くたびに思ってしまうのです。「この母子には、生きるエネルギーになるような情緒的なつながりがあったのか?」と・・・。

愛された子どもなら

 もちろん、愛する母親の死は悲しいことです。死を受け入れるまでに時間がかかったり、しばらくの間、悲嘆にくれたりするのは当然のことです。

 けれども、もし母親にきちんと愛された子どもであれば、母親の死に際してこんなにも罪障感と後悔だけを感じるでしょうか? 「自分が悪かった」と責任を引き受け、自分を責め、母親に謝り続けたりするでしょうか?
 
 けしてそうではないはずです。

 本当に母に愛された子どもであれば、母の死を悼むことはあっても、罪悪感を持つことなど考えられません。
 まちがっても、歌詞にあるように「ばか野郎となじってくれ」などと、言うはずもありません。

 愛された子どもであるなら、母の死を十分に悲しんだ後には、その母の死をこれからの人生の糧とすることができるはずです。母親から受けた愛が生きるエネルギーとして、母という存在を過去のものにし、新しい一歩を踏み出すことができるはずです。

 ところがこの歌はまったく逆です。
 息子をいつまでも母との関係の中に定着させ、「俺、死ぬまであなたの子ども」とまで言わせています。
 
 死ぬまで子どもの人生にのしかかり、支配する。未来へのエネルギーを奪い、子どもの生のエネルギーを吸い取り、罪悪感を背負わせ、親への愛にしばりつける。・・・そんな母は、モンスター以外の何ものでもありません。

孤独な人間は減らない

ところがこの歌が家族賛歌のように考えられ、酒場ではサラリーマンが涙しながら歌っているといいます。

 子どもがさっさと親を乗り越え、自分らしく生きられるエネルギーとなる“真の親の愛”ではなく、いつまでも親に定着させ、罪悪感を与える“親の自己満足”を愛情と考える家族(親)神話が続く限り、偽りの家族の中で、偽りの自分しか見せられない孤独な人間は減らないでしょう。

 極限まで追い込まれても、実家を頼ることもできず、自分でどうにかしようと頑張ったあげくに自己破壊を起こしていく人間も減らないでしょう。

 秋葉原事件の容疑者のように・・・。

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