2009年01月の一覧

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2009年01月14日

家族って?(1)

 あけましておめでとうございます。
 新年のごあいさつがすっかり遅くなりまして失礼致しました。いつの間にか鏡開きも過ぎてしまいましたね。

 それにしても、新年のあいさつをさせていただくのはこれで三回目。・・・ということはこのブログも三年目に入ったというわけで、なんだか感慨無量です。

海の幸を堪能

image_090114.jpg このお正月を使って、私は宮城に住むいとこのところに愛犬(ゴールデン・レトリバー)を連れて遊びに行ってきました。

 期待していた雪は思いの外、少なく、雪遊びはできませんでした。海と雪が大好きな愛犬はちょっとガッカリ顔。彼女は二年前、新潟に行ったときくらいの雪を期待していたようです(写真参照)。

 でも、「その代わり」と言ってはなんですが、この時期にしかない海の幸を堪能。ホッキ飯や牡蠣せいろ、貝ずくしのお鮨などをいただき、人間の方はかなり満足の旅行でした。

===
“家族”と『吾亦紅』

 ところで年末から年始にかけては、どうしても家族について考えさせられる時期です。一般的に家族を単位とした行動が増えるからでしょうか。それとも、私の個人的な経験からくるのでしょうか。

 クライアントさん達からも、「一緒に過ごす家族がいない寂しさ」や、逆に「近寄りたくないのに訪ねなければいけない家族がいる辛さ」について、お聞きすることがよくありました。

 また、これはまったく個人的なことですが、年末の風物詩である「紅白歌合戦」というフレーズを聞くと、昨今、必ず家族や親子を連想するようになってしまいました。
 あまり知られていなかった“すぎもとまさと”という58歳(07年当時)の歌手を人気歌手に押し上げた『吾亦紅』という曲を思い出してしまうからです。
 
 亡き母への思いを切々と歌った『吾亦紅』。07年の紅白出場後、その人気はさらに高まり、オリコン総合チャートでも2位に記録を更新、演歌・歌謡チャートでは11週連続首位を記録するなど、記録的なヒットとなったそうです。

 この歌について書かれた記事には、まるで“家族”愛の代表歌のよう紹介しているものがあります。
 事実、空前のヒットとなったところを見ると、多くの人も『吾亦紅』を聞きながら、家族や親子について思い返し、その歌詞に大きな共感を覚えているのかもしれません。

“家族”とは?

『吾亦紅』についての私見は後に譲るとして、こんなにも多くの人が心を揺すぶられる“家族”とはいったいなんなのかと、いつも考えこんでしまいます。

「家族なんていなくていい」「嫌なら縁を切ればいい」と、簡単には割り切れない“家族”という不思議な単位。その意味や役割は何なのか? この疑問は長い間、私の中にあります。

 この問いに悩む人は少なくはないようで、社会学の本や辞典等でも、いろいろと定義されています。

 今の日本社会で、一般的と言えるのは「定義を夫婦・親子を中心とする近親者によって構成され、成員相互の感情的絆(きずな)に基づいて日常生活を共同に営む小集団」(「yahoo!百科事典」)という考え方でしょうか。

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家族って?(1)

 あけましておめでとうございます。
 新年のごあいさつがすっかり遅くなりまして失礼致しました。いつの間にか鏡開きも過ぎてしまいましたね。

 それにしても、新年のあいさつをさせていただくのはこれで三回目。・・・ということはこのブログも三年目に入ったというわけで、なんだか感慨無量です。

海の幸を堪能

image_090114.jpg このお正月を使って、私は宮城に住むいとこのところに愛犬(ゴールデン・レトリバー)を連れて遊びに行ってきました。

 期待していた雪は思いの外、少なく、雪遊びはできませんでした。海と雪が大好きな愛犬はちょっとガッカリ顔。彼女は二年前、新潟に行ったときくらいの雪を期待していたようです(写真参照)。

 でも、「その代わり」と言ってはなんですが、この時期にしかない海の幸を堪能。ホッキ飯や牡蠣せいろ、貝ずくしのお鮨などをいただき、人間の方はかなり満足の旅行でした。

===
“家族”と『吾亦紅』

 ところで年末から年始にかけては、どうしても家族について考えさせられる時期です。一般的に家族を単位とした行動が増えるからでしょうか。それとも、私の個人的な経験からくるのでしょうか。

 クライアントさん達からも、「一緒に過ごす家族がいない寂しさ」や、逆に「近寄りたくないのに訪ねなければいけない家族がいる辛さ」について、お聞きすることがよくありました。

 また、これはまったく個人的なことですが、年末の風物詩である「紅白歌合戦」というフレーズを聞くと、昨今、必ず家族や親子を連想するようになってしまいました。
 あまり知られていなかった“すぎもとまさと”という58歳(07年当時)の歌手を人気歌手に押し上げた『吾亦紅』という曲を思い出してしまうからです。
 
 亡き母への思いを切々と歌った『吾亦紅』。07年の紅白出場後、その人気はさらに高まり、オリコン総合チャートでも2位に記録を更新、演歌・歌謡チャートでは11週連続首位を記録するなど、記録的なヒットとなったそうです。

 この歌について書かれた記事には、まるで“家族”愛の代表歌のよう紹介しているものがあります。
 事実、空前のヒットとなったところを見ると、多くの人も『吾亦紅』を聞きながら、家族や親子について思い返し、その歌詞に大きな共感を覚えているのかもしれません。

“家族”とは?

『吾亦紅』についての私見は後に譲るとして、こんなにも多くの人が心を揺すぶられる“家族”とはいったいなんなのかと、いつも考えこんでしまいます。

「家族なんていなくていい」「嫌なら縁を切ればいい」と、簡単には割り切れない“家族”という不思議な単位。その意味や役割は何なのか? この疑問は長い間、私の中にあります。

 この問いに悩む人は少なくはないようで、社会学の本や辞典等でも、いろいろと定義されています。

 今の日本社会で、一般的と言えるのは「定義を夫婦・親子を中心とする近親者によって構成され、成員相互の感情的絆(きずな)に基づいて日常生活を共同に営む小集団」(「yahoo!百科事典」)という考え方でしょうか。

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2009年01月20日

家族って?(2)

でも私には、そうした一般的な定義がどうもピンとこないのです。
 たとえ夫婦や親子でなくても、いえ、夫婦や親子でないからこそ、「成員相互の感情的絆」に基づいて日常生活を共同に営むことができる小集団があります。
 
 たとえば昨年12月末にNHKで放送された『特集 ドキュメントにっぽんの現場「平成長屋の住人たち」』。いわゆる赤の他人同士が暮らしているにもかかわらず、そこには私たちが「家族」に求めてきたような安らぎや思いやりがあります。

 また、頼る人の無い方が自立した生活を始められるよう、孤立しないよう、アパート入居時の連帯保証人提供の相談から地域社会への復帰、友達づくりまでをサポートする「自立生活サポートセンター もやい」に集う人々を見ると、助け合う確かな絆が感じられます。

===
年越し派遣村の現場リポートから

 つい最近では、昨年12月31日から1月5日まで東京の日比谷公園に開設された「年越し派遣村」について同じような気持ちを持ちました。
 派遣村にボランティア参加した方があるMLで流した現場リポートを読んだとき「まるで家族みたい」と心底、思ったのです。

 そのメールによると派遣村には、多い日だと500人以上もの人がやってきたそうです。
 食べ物の列に並ぶ人々の中に派、視点の定まらない顔面蒼白の若者がたくさんいたそうですが、中には関東の北部の方から歩いて来た人や自殺に失敗した人などもいたということでした。

 そういう人々を迎えたのはあちこちからかけつけたボランティア。つまり“赤の他人”です。

 ボランティアの仕事は様々だったようで、たとえばマッサージ師や美容師など手に職のある人はその技術を提供し、力のある人は荷物運び、夜はみんなで一緒に語り合う・・・など、いろいろなやり方で派遣村にたどり着いた人々を温かく迎えたと書かれていました。

 そこには確かに、相手を思いやり、いたわり合う“感情的絆”があったと言ってよいでしょう。

なぜ派遣村へ?

 そこで思うのです。
 派遣村を目指してこられた方々は、なぜ遠くから、ろくに食べる物もない状態で、わざわざ日比谷までやってきたのでしょうか。
 天涯孤独で、“家族”と呼べる親はおろか肉親もまったくいない方々だったのでしょうか?

 いえ、きっとそうではないでしょう。

 なぜ、そう思うのかと言うと、もう15年も前に私が出会った多くのホームレスの方々の多くも、やはり天涯孤独の身の上ではなかったという経験があったからです。

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家族って?(2)

でも私には、そうした一般的な定義がどうもピンとこないのです。
 たとえ夫婦や親子でなくても、いえ、夫婦や親子でないからこそ、「成員相互の感情的絆」に基づいて日常生活を共同に営むことができる小集団があります。
 
 たとえば昨年12月末にNHKで放送された『特集 ドキュメントにっぽんの現場「平成長屋の住人たち」』。いわゆる赤の他人同士が暮らしているにもかかわらず、そこには私たちが「家族」に求めてきたような安らぎや思いやりがあります。

 また、頼る人の無い方が自立した生活を始められるよう、孤立しないよう、アパート入居時の連帯保証人提供の相談から地域社会への復帰、友達づくりまでをサポートする「自立生活サポートセンター もやい」に集う人々を見ると、助け合う確かな絆が感じられます。

===
年越し派遣村の現場リポートから

 つい最近では、昨年12月31日から1月5日まで東京の日比谷公園に開設された「年越し派遣村」について同じような気持ちを持ちました。
 派遣村にボランティア参加した方があるMLで流した現場リポートを読んだとき「まるで家族みたい」と心底、思ったのです。

 そのメールによると派遣村には、多い日だと500人以上もの人がやってきたそうです。
 食べ物の列に並ぶ人々の中に派、視点の定まらない顔面蒼白の若者がたくさんいたそうですが、中には関東の北部の方から歩いて来た人や自殺に失敗した人などもいたということでした。

 そういう人々を迎えたのはあちこちからかけつけたボランティア。つまり“赤の他人”です。

 ボランティアの仕事は様々だったようで、たとえばマッサージ師や美容師など手に職のある人はその技術を提供し、力のある人は荷物運び、夜はみんなで一緒に語り合う・・・など、いろいろなやり方で派遣村にたどり着いた人々を温かく迎えたと書かれていました。

 そこには確かに、相手を思いやり、いたわり合う“感情的絆”があったと言ってよいでしょう。

なぜ派遣村へ?

 そこで思うのです。
 派遣村を目指してこられた方々は、なぜ遠くから、ろくに食べる物もない状態で、わざわざ日比谷までやってきたのでしょうか。
 天涯孤独で、“家族”と呼べる親はおろか肉親もまったくいない方々だったのでしょうか?

 いえ、きっとそうではないでしょう。

 なぜ、そう思うのかと言うと、もう15年も前に私が出会った多くのホームレスの方々の多くも、やはり天涯孤独の身の上ではなかったという経験があったからです。

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