2008年11月の一覧

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2008年11月05日

地域の再生と地域猫(6)

image_081105.jpg 商店街の店同士のご近所づきあいも盛んになりました。
 「ミーちゃん見た?」を合い言葉に、ミーちゃんの話題を通して、さまざまな会話が繰り広げられるようになったのです。
 
 通行人の方々を始め、あちこちからキャットフードが美容院に届くようになったことも、ご近所づきあいを促しました。
 あまりにも大量のキャットフードが届くので、美容院の人はミーちゃんにご飯をあげている他の店にも配りました。
 
 すると、今度は配ったお店の人が「ミーちゃんファンのお客さんが置いて行ったから」と果物を届けてくれたり、「市場で安売りしてたから」と、いろいろな物を分けてくれたりするようになりました。
 また、ミーちゃんの避妊手術をした金物屋さんは、旅行のお土産やケーキを持って美容院に遊びに来るようになり、ミーちゃんを発見した女性は時間があると美容院に立ち寄るようになりました。

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人と人をつなぐ求心力

 美容院では、そうして各店から集まった「お返し」をまたキャットフードを持って来てくれた人たちにお裾分け。

「ごちそうさまです」
「また寄ってね」

「この前はありがとう」
「どういたしまして」

 ついこの前まで素通りしていた人たちの間で、そんなやりとりがごく普通に行われるようになったのです。

 さらに商店街の店同士では、駐車場の貸し借りや、お互いの店の前を掃除し合う風景なども、以前より見られるようになりました。

 ミーちゃんが人と人とをつなぐ求心力となったのです。まさに地域を再生させる地域猫のカガミ! 

“世話される弱い存在”が与えた幸せ

 今回の一件で分かったこと。それは長年、一方的に世話をされてきたように見えたミーちゃん、自分では何もできないミーちゃんに、「世話をする側の方が多くのものをもらってきていた」ということでした。
 
 世話をしているつもりの強い存在の方こそが、ミーちゃんという“世話すべき弱い存在”から、大きな大きな生きるエネルギーをもらい、ミーちゃんがいるというただそれだけで幸せを感じることができていたのです。

 だからこそミーちゃんは、地域をつなぎ止めるほどのチカラになり得たのでしょう。

 これは生命存在の真理にも迫るものすごいことです。

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2008年11月11日

地域の再生と地域猫(7)

image_081111.jpg 今、私たちの社会は「何でも自分で出来る人間」=「自立的な存在」をもてはやします。
 
 だれかに食べさせてもらったり、甘えたり、頼ったりすることは「子どもっぽいこと」とされ、たったひとりで生きられる人間になることが「いいこと」とされます。

 自分でお金を稼ぐことが出来ず、身の回りのことができず、人の手を借りなければやっていけない人間を「ダメな(甘えた)人間」と呼びます。子どもに対しては指導、しつけ、教育をして、一刻も早く「おとなにしてあげる」ことが愛情だと考えられています。

 とくに新自由主義と呼ばれる、自己決定と自己責任を個人に押しつける考えが席巻する今日において、この考え方は顕著です。

 そこでは“世話される弱い存在”は、あってはならないもの。もしくは価値のないものであって、ただのお邪魔虫(やっかい者)に過ぎません。

 こうした社会の考えを内面化し、相談に来られるクライアントさんの中にも「自分は自立できていないダメな人間だ」という罪悪感でいっぱいの方も多くおられます。

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人間はひとりぼっちでは生きていけない

 しかし、その考えは間違っています。人間は本来、だれにも頼らず、ひとりぼっちでなど生きてはいけないのです。

 人間は、関係性の中で生きる存在です。特定のだれかとの愛着関係を持ち、そのままで受け入れてもらえる関係の中で安心し、支え、支えられる(ケアし、ケアされる)ことによって、孤独という根源的な不安を克服します。

 特定のだれかとの間で、そうした関係性を得られなかったときには、その寂しさを満たすための代用品を探します。

 代用品は、アルコール、ギャンブル、ショッピング、仕事、子どものお受験など、実にさまざまです。
 実生活や生身の人間との関係性に悪影響を及ぼすほどにまで、代用品の乱用がはじまると、「依存症」と呼ばれ、治療対象とされますが、多くの場合、当人はなかなかその問題性に気づきません。

社会全体がマネー経済依存症
 
 とくに、社会全体がその代用品を「価値があるもの」と考えている場合は深刻です。

 個人的な意見を言わせてもらえば、だれとも親密な関係を持たず、ひとりぼっちで生きられる人間を理想とし、巨額の利益を求めて投機を続け、株価の動向に一喜一憂する日本社会には、すでに「マネー経済依存症」になっている状態だと思います。

 しかし、多数の人が財産を殖やすための投資に夢中になり、「だれにも頼らずに生きていける経済力を持つべき」と思い込んでいるため、これだけ既存の経済システムのほころびが見えてきても、抜本的に見直そうという雰囲気にはなりません。

「酒を飲んでハメを外すのは当たり前」という文化では、アルコール依存症が見えにくくなり、賭け事が「男の甲斐性」と言われる思われる家庭ではギャンブルが問題視されにくくなるのと同じです。

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2008年11月21日

地域の再生と地域猫(8)

 閑話休題。
 もう一度、ミーちゃんという“世話される弱い存在”に目を向けてみましょう。

 ミーちゃんが地域にもたらしたもの。・・・それは「人間らしさの回復」です。ミーちゃんという小さき者が、私たちの感情を揺さぶり、共感能力を引き出し、結果的に、地域に人と人とのつながりをもたらしました。

「世話をしたい」と思わせる弱い存在。その存在こそが、私たちが見失いがちなものを教え、関係性をもたらし、孤独から解放してくれることを証明したのです。

 世知辛いこの世の中。ともすれば「だれかと支え合って生きる」という人間らしさが忘れられてしまいがちです。
 そうした今の社会においては、ミーちゃんのような存在。それはまさに地域になくてはならないものなのです。

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深まる地域住民の溝
 
 こうした存在を力で排除しようとするとどうなるか・・・。

 今、東京都荒川区などで、野良猫にご飯を上げることを禁止する条例が制定されようとしています(こちら)。
 荒川区と言えば、人情あふれる下町のイメージですが、条例制定の話が持ち上がって以来、猫好きと猫キライの地域住民の溝がどんどん深まっているそうです(こちら)。

「自立した存在」が理想というフィクション

 繰り返しになりますが、すべてを自分一人でまかなう「自立した人間」になることなど、最初から不可能なことなのです。だからこそ私たちは、共感能力を発達させ、「人とつながる」ことによって、自らの身を守って来たのです。

 なんでも自分でできる「『自立した存在』こそが、理想的な人間の姿なのだ」ということなど、現代社会がつくり出したフィクションに過ぎません。

ミーちゃん再び行方不明

 実は、この「地域猫」の話を書き始めてからしばらくして、またミーちゃんが行方不明になりました。
 最近、どこかで子猫が産まれ、「ミーちゃんにくっついていればご飯がもらえる」と思ったのか、ミーちゃんの行く先々に出没していました。
 どうやらそのことをよく思わないだれかが、子猫と一緒にミーちゃんをどこかに捨てに行ったようです。

 警察にも相談しましたが、「(ミーちゃんの)所有者がはっきりしない」「猫は移動するもの」と、冷たくあしらわれました。
 ワクチンを打ち、避妊をし、病気やケガのときには病院に連れて行って治療し、みんなでご飯の場所を決め、美容院がメインで世話をしていたことを伝えても、対応は変わりませんでした。
「猫をめぐる地域のトラブルに関わりたくない」ということなのでしょうか。
 
見かけたらご一報を!

 現在、美容院を中心に、またまたチラシをつくり、ポスターを貼り、ミーちゃんを捜索中です。
 もし、同じ人が捨てたとなると、今度はかなり遠くまで運ばれた可能性があります。「一年後に見つかった」という奇跡的な話もありますから、あきらめずに探していきたいと思っています。

 みなさん、もし、左前足が曲がっている、しっぽがグレーで短い三毛猫を見かけたら、ご一報ください! それはミーちゃんかもしれません。
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