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私たちの社会は、「親は子どもを愛するもの」という幻想を抱いています。
もし、そこに疑いを抱いてしまったら最後。多くの人が「自分の親も無償の愛を注いでくれた人ではなかった」という現実に直面しなければならなくなってしまうからです。

多くの人が自らの感情にはふたをして「いろいろ辛いこともあったけれど、親は自分のことを思ってくれていたんだ」と、自らを納得させます。そうして、かつて親が自分にした残酷な仕打ちは「なかったこと」あるいは「ありがたいもの」にして、親と同じように子どもに接します。

だから、子どもが親や社会への反抗とも取れる事件を起こしたりすると、

「親は出来る範囲で、その親なりに子どもを愛してきていたのに、愛を感じられない子どもの方にこそ問題がある」

と、子どもを責めます。

心理の専門家のなかにも、事件を起こした少年たちに対して「(親に)愛があるのに、子どもに届いていない」などと言う人もいます。

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大切なのは「子どもの視線」に立ったかかわり

はたしてそうでしょうか?

仕事に疲れた親が子どもの声を無視してしまうとき、子どもの将来を考えて勉強を強要するとき、世間で通用する良い子にしようとして暴力をふるうとき・・・親は子どもを愛しているのでしょうか?

そうしたやり方でしか子どもへの思いを伝えられない親にではなく、その愛を受け取る感受性がない子どもの方に問題があるのでしょうか?

確かに、親の側にも大変な事情はあるでしょう。疲れていたり、将来への不安があったり、世間のプレッシャーを感じていたりして、うまく子どもと向き合えない現実もあるとは思います。

しかし、だからといってこうした親の振る舞いを「愛情あっての行為」と呼んでしまうことには抵抗を覚えます。

子どもの成長を促すのは「おとなの都合」を強要するのではなく、「子どもの視線」に立ったかかわりのはずです。

学齢期前からの道徳教育

ところが、今度は、今まで以上に小さな子どもたちを「おとなの都合」に合わせるための施策が始まっています。
昨今の子どもたちの状況に業を煮やした政府は、幼稚園教育要領を改定し、学齢期前からの道徳教育を強化しました。

今までの幼稚園要領では、
「相手の気持ちに気づくことで、子どもが自分の気持ちたり調整したりできるようになる」
ことを目指してきました。対して改定版では、まず
「きまりは絶対なもの」
という大前提に立って、
「それを守らせるためには自分の気持ちを抑えて相手と折り合いをつけなくてはならないとの意識を育てる」
ことを目指すというのです。

それでなくとも幼稚園か保育園いずれかの低い設置基準に基づいて設置ができる認定こども園ができ、小学校に入学後、教師の言うことにおとなしく従えない子どもの問題(小一プロブレム)などが言われる中で、幼小連携が進んでいます。

従来から行われきた子どもの思いや感じ方を大切にする内容ではなく、政府の方針に合わせた保育・子育てを実現する仕組みが着々とつくられているのです。

小さな頃からきまりを押しつけられ、おとな社会に合わせて振る舞うよう強いられた子どもは、今よりももっと、自分の思いや願いを素直に表現することができなくなるでしょう。
いつでも親の顔色をうかがい、自分を殺し、ルールに従おうと頑張ったあげくに疲れ果て、親や社会、もしくは自分を破壊するところにまで追い込まれる子どもが増えるだけです。

子どもをそんなところへと追い込む関わり方は虐待(不適切な養育)と呼ばれてしかるべきです。

最近、「地域が崩壊した」と言われることが多くなりました。
ただ、個人的には「崩壊させられた」という感が強くあります。

たとえば、学校を中心とした地域社会の崩壊について考えてみましょう。

その原因のひとつには、学校選択制や学校統廃合などが進んだことがあります。住んでいる場所から遠いところに通う子どもが増えれば、当然、保護者同士のつながりが薄れます。教師には家庭訪問しにくくなり、通学中の子どもが地域の人から声をかけられることも減ります。教師は、校外で子どもたちが何をしているのか分からなくなります。

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親の学校不信

親の学校不信も深刻です。「学校に任しているだけでは、きちんとした学力がつかない」という不安感と言った方がいいでしょうか。

文部科学省の『子どもの学校外での学習活動に関する実態調査』によると、「学習塾通いが過熱している」と考える保護者は6割にもなり、その理由として「学校だけの学習への不安がある」を挙げています。
また、公立小中学校の家庭で学習塾等にかける補助学習費は年々、過去最高額を更新しています(文部科学省『子どもの学習費調査』。東京都では、低所得層の子どもに塾代を融資する対策も始めました。

つくり出された崩壊

一見、「時代の流れ」のように見えますが、ちゃんと裏があります。
学校選択制や学校統廃合は、国が方向性を示し、各自治体が率先して行ってきたことです。「いじめられた子が他の学校にも行きやすいように」とか「親のニーズに応えられる多様性のある学校づくり」などと言いながら、実際には、自治体の教育費負担を減らし、親が選択しなければいけないような雰囲気をつくってきました。

「学力不振」(学力の二極化)も、同じようにつくりだされてきたものです。
まずは教師を徹底的に管理し、「物言えぬ教師」にするため人事考課制度や数値目標で縛ると同時に事務仕事を激増させて、子どもと向き合う時間を奪いました。

その一方で、「ゆとり教育」を柱とする学習指導要領に改定して公教育費を削減するために平等教育を解体しました。簡単に言うと、それまでの「どんな子どももできるようになるまで」という教育から「できる子には手厚く、それ以外には最低限で」という教育へと移行させたのです。

つい先日発表されたOECD調査によると、日本の公教育費はOECD加盟国中、最下位です。

企業の利益に貢献

こうした政策によって、学習塾や教育産業の利益に貢献し、企業が学校教育に携わる機会を増やしました。

最近では、大手金融機関による金融教育、金融広報中央委員会が行う教師向けのセミナー、東京証券取引所が作成した「株式学習ゲーム」。マクドナルドやカルビーなど子どもが大好きなジャンクフード会社が行う食育にNTTドコモによる携帯電話の安全な使い方の授業・・・。挙げればキリがないほどです。
教育内容をコーディネイトする教育コンサルタント会社も業績を伸ばしています。また、東京都杉並区立和田中(和田中)のように塾と連携した受験対策をする学校も出てきています(「『人と生きる』ことを学ぶ学校」参照)。

上からの地域づくりは無駄

施策として地域を崩壊させ、人と人とのつながりを断っておきながら、一方で「地域の安心安全」として地域ボランティアによる防犯パトロールなどを強化し、住民同士が監視し合う仕組みをつくってきました(「子どもが危ない」参照)。

また、今年度からは50億4千万円をかけた学校支援地域本部事業も始まりました。今年度中に全国1800カ所に学校支援地域本部をつくるのだそうです。
建前は「学校を中心とした地域の再生」「外部人材の登用で教師の負担を減らす」となっていますが、先行して本部づくりが行われてきた和田中では、本部が企業に入ってくるためのトンネルになり、受け皿になってしまっています。

こんな「上からの」方法では絶対に「人と人のつながり」のある地域にはなりません。

次回の予告

どんどんかたい話になってきてしまいました。そろそろ切り上げましょう。
次回からは、足下から地域を再生する猫の話をご紹介したいと思います。(続く…

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image_080926.jpg その猫は、駅前の商店街で暮らしている三毛猫(女の子)。
商店街の人々や通行人がご飯をあげ、雨宿りの場所を提供し、避妊をし、かれこれ10数年、そこで暮らしています。いわゆる「地域猫」です。

駅前開発や店主の引退などでかわいがってくれていた人が去っても、また別にかわいがってくれる人を見つけては、地域猫としてたくましく生きてきました。
だれが付けた名前か分かりませんが、みんな「ミーちゃん」と呼んでいます。

人間で言えば、おそらくもう70歳くらい。かつて交通事故に遭ったため、左前足が内側に曲がっています。
でも、まだまだ元気。ものすごい早さで駐車場を走ったり、フェンス越えもなんのそので自由に動き回っています。食欲も旺盛で、いつも通る人に向かって「ごは〜ん、ごは〜ん」と鳴いています。

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大きな受難

10年以上もそこで暮らし、いるのが当たり前だったミーちゃん。もうすっかり風景に溶け込だようになっていましたが、今年になってその存在感を知らしめる出来事が起きました。大きな受難に遭遇したのです。

それは4月のあたまのことでした。何者かがミーちゃんを捕まえ、遠くの公園に捨てたのです。たまたま見かけていたずら心が動いたのか、それとも故意に狙ったのか。それはいまだに分かりません。
とにかくミーちゃんをかわいがっている人のお店がすべて休みの日の出来事でした。

最初に異変に気づいたのは、最近、メインで世話をしている美容院の経営者でした。かつてミーちゃんをとてもかわいがっていた小料理屋さんが閉店して1年あまり。その美容院には、ほぼ毎日ご飯を食べに来ていました。台風や雷の晩には、店に泊まったりもしていました。それなのに休日明けから4日たっても姿が見えなかったのです。(続く…

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