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image080213.jpg 私がセラピーに興味を持ち、心理を学び、子どもや家族問題にかかわるようになったのも愛馬のことがきっかけでした。

故障した愛馬の預け先を探す中で、ハンディキャップを負った子どもを対象にしたホースセラピーを知ったのです。
・・・とは言え、最初は「もっと日本にホースセラピーが定着すれば、行き場のない馬たちの受け入れ先が増えるのでは?」と思っただけ。

でも、馬と接することで変わっていく子どもたち、何より子どもたちが秘めたパワーに驚かされ、その可能性に惹きつけられました。そして、あらゆる人間が生来持って生まれてくるこうしたさまざまな能力の“芽”をつみ取ってしまうものは何なのかと考えるようになり、自分の子ども時代についても考える機会を得ました。

心理学を学ぶことを勧めてくれたのも、ホースセラピーを通して知ったある研究者の方でした。
それから大学院に入り、心理を学ぶまでには、さらに5年もの月日がかかりましたが、私の中で、心理学への興味が沸き、さらには「子どもと家族の問題に取り組む」という、今後、自分がかかわるべき方向性を見つけることができました。

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最後のプレゼント

さらに昨年の暮れ、愛馬がとても素敵な最後のプレゼントをくれました。

昨年11月に、あるテレビ番組で愛馬と乗馬クラブの犬の友情が取り上げられました。脚が変形し、ここ数ヶ月、馬房から出られずにいた愛馬の脚を犬がなめたり、励ましたりしている様子が放映されたのです。

その番組を偶然、見ていたのが、愛馬を生産した牧場のオーナーご夫婦でした。お二人は「26年前にうちの牧場で産まれた馬だ!」とすぐに気づき、遠路わざわざ、乗馬クラブを訪ねてくださったのです。

ずっと馬名を変えていなかったこと(馬はオーナーが変わるたびに名前を変えるのが普通です)、顔の模様が印象深かったことなどもありますが、何より、競走馬らしからぬ(つまり競争に向かない)おっとりした性格だったことが、ご夫婦の印象に残っていたのだとか。

ご夫婦は愛馬をなでながら「まさか26年前にうちで産まれた馬に会えるとは思ってもいなかった」と、とても感激されていたそうです。そして後日、4箱ものリンゴ(うち1箱は人間用)を乗馬クラブに送ってくださいました。

私が乗馬クラブのスタッフからその話を聞いたのは、愛馬が息を引き取ったあとでした。まるで最期に

「出会いをあきらめなければ、人生は変えることができるはず」

ーーーそんなメッセージをみんなに残してくれたかのようです。(続く…

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image080205.jpg ところで、愛馬と乗馬クラブの犬は大の仲良しでした。
たとえば寒い冬の夜、愛馬は自分の夜食である干草を、暖を取るために犬小屋に貸してあげていました。そして犬は、朝、愛馬がお腹を空かした時間になるとちゃんと干草を返してくれていました。

過去何度か、愛馬が倒れたときも、真っ先に気づいて大騒ぎするのはその犬で、状態の悪いときは、乗馬クラブのスタッフと一緒に、寝ずに看病してくれました。スタッフたちは、犬の様子から愛馬の病状が深刻なものかどうか判断していたほどです。

最期の日も、犬は、愛馬が倒れた際にすりむいた傷をきれいになめてくれました。そしてもう動かなくなった愛馬の馬着をひっぱり、耳元で吠え、どうにか起こそうと必死になっていました。


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私が駆けつけたとき、すでに愛馬は息絶えていたのですが、犬は私に「何とかしろ!」と言いたげに、ずっと訴えていました。日頃はそんなふうに人に向かって吠えない犬なのに、です。
その日はほんとうに一日中、ずっーと吠え続け、時折、愛馬を見つめては悲しそうに鼻を鳴らすのです。

その犬にとっても、愛馬は他の馬とは違う、特別な存在だったのでしょう。もう歩けないほど足が弱っても、体が衰え、やせ細っていても、他の馬では代わりにならない、唯一無二の存在だったに違いありません。

私が、今の乗馬クラブに愛馬を預け代えてから15年くらいがたっていますが、その間、ふたり(一頭と一匹)は、1日と離れたことがないのです。お互いの存在が、もう自分の一部のようになっていたのでしょう。

「千の風になる」ということ

『千の風になって』という詩(歌)がヒットしています。私は今まで、その意味を「亡くなった者も温かい思い出として、残された人を元気づけたり、心の中で生き続けたりしていく」というくらいに考えていました。

けれども、そんな簡単な意味ではなかったのだと、今は思います。
亡くなった者と過ごした時間、その存在があったからこそやってきたこと、考えたこと、出合った人・・・そうやって積み上げられた歴史が、今の私の人生であり、生活であり、私という人間の一部になっています。

もし、愛馬の存在がなければ、もし、出合ったのが他の馬であったら、今ここにいる私は、また違う人間になっていたはずです。
だからこそ、あらゆる生命はその存在そのものに価値があり、生きとし生ける者はすべてかけがえがないのです。

私の一部となった愛馬は、これからも私と共に生き続け、未来をもつくっていきます。それが「亡くなっても、残った者とともに生き続けるということなのだ」と、愛馬は教えてくれました。

実は、まだ夢の段階ですが、愛馬が引き合わせてくれた多くの人たちと一緒に、愛馬の遺志(?)を継ぎ、ホースセラピーができる場をつくれないかと、新たな展開も考えているところです。

最後にかえて

私が愛馬の残したメッセージを未来につながるものと受け止められるよう、私の傷みに寄り添い、悲しみを分かち合ってくださった人々に感謝したいと思います。

そして、最後になりますが、こうした長い長い語りの場を与えてくださり、さらにそれを読んでくださったすべての方々に、心よりお礼申し上げます。

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