2007年06月の一覧

« 2007年05月 | メイン | 2007年07月 »

2007年06月07日

現実から解離した教育再生会議(1)

 首相の肝いりで始まった教育再生会議が第二次報告をまとめました。
 そこで重視されているのは「学力の向上」と「人格形成」。そのために「ゆとり教育」を見直し、徳育の勧め、大学・大学院の改革を提言しています。

 教育再生会議と言えば、つい先月、若い親たちに対して子育ての指針を示した「親学」に関する緊急提言を出そうとして引っ込めたという経緯があります。その提言の内容に、世間だけでなく政府内部でも疑問の声が数多く上がったからです。

 以下が「親学」として提言しようとしたポイントです(『毎日新聞』4月26日付)。

(1)子守歌を聞かせ、母乳で育児
(2)授乳中はテレビをつけない。5歳から子どもにテレビ、ビデオを長時間見せない
(3)早寝早起き朝ごはんの励行
(4)PTAに父親も参加。子どもと対話し教科書にも目を通す
(5)インターネットや携帯電話で有害サイトへの接続を制限する「フィルタリング」の実施
(6)企業は授乳休憩で母親を守る
(7)親子でテレビではなく演劇などの芸術を鑑賞
(8)乳幼児健診などに合わせて自治体が「親学」講座を実施
(9)遊び場確保に道路を一時開放
(10)幼児段階であいさつなど基本の徳目、思春期前までに社会性を持つ徳目を習得させる
(11)思春期からは自尊心が低下しないよう努める

===
「モンスターペアレント」の事情

 どれも専門家でなくとも首をかしげたくなるような内容です。
 提言を出すことになった発端は、給食費の未払いなどが増えているなどの事情からのようですが、こうした提言を出すことで問題が解決すると考えること自体に無理があります。

確かに最近、教育現場ではちょっとびっくりするような親と出会うことがあります。
 たとえばちょっと気に障る教師がいると教育委員会に電話をして辞めさせるよう要求したり、「子どもが学校で問題を起こした」と教師が相談しようとすると「学校内で起きたことは教師の責任なんだから親を巻き込まないでくれ」と答えたり・・・。
 いわゆる「モンスターペアレント」と称されるような親たちです。

 しかし、こうした親たちが生まれる背景を見ていくと、なぜそんな言動を取るのかが見えてきます。
 学校選択制で地域や保護者たちが分断されていたり、厳しい労働条件の中で大変な働き方を強いられていたりします。
 何より「子どもを育てる」という、利他的な行為になじみが少ないのです。だれかに何かを“与える人”になるには、その人自身が“与えられた人”であることが必要です。が、最近の親にはそんな経験がものすごく少なくなっています。

 こうした事情を考えれば、親たちが「理解不能なモンスター」などでないことは簡単に推測ができます。それどころか「今の社会では当たり前なのだ」とさえ思えてきます。

 この親学の緊急提言に象徴されるように、現実社会を見ることなく、自らの信念や思いこみを教育の世界に持ち込もうとしている教育再生会議委員たち。いそんな委員たちがまとめた第二次報告の疑問点を考えてみたいと思います。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2007年06月18日

現実から解離した教育再生会議(2)

 まずは「学力向上」のための「ゆとり教育」見直しについて考えてみましょう。

 今年4月の文部科学省発表では「ゆとり教育」世代の学力と勉強への意識は向上しているといいます。
 その理由としては、「部活や行事を犠牲にした結果」や「受験を重視した授業が組まれた学校が多かった」など、さまざま言われています。

 伊吹文明文部科学大臣は昨年11月の国会で「(子どもの権利条約に基づく国連「子どもの権利委員会」からの「過度に競争主義的な教育制度を見直すこと」などの)勧告を受け、学習指導要領を見直して『ゆとり教育』を導入した結果、学力が低下してしまった」という主旨の発言をしていますが、コトはそう単純ではないようです。

===
 そもそも伊吹文科相の発言が真実だと考えるには時間的に無理があります。この発言が真実だとすれば、98年に国連「子どもの権利委員会」の勧告が出て、その同じ年のうちに「ゆとり教育」を柱とした学習指導要領へと改訂されたということになるからです。

 常識で考えても、そんなに早く対応できるはずがないことは分かります。
 何しろ、このときの改訂は学校週五日制や総合的な学習の時間(総合学習)の導入、授業内容の厳選(三割削減)など、学校の体制自体を根底から見直さなければならない内容が並んでいました。(続く…)

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2007年06月22日

現実から解離した教育再生会議(3)

「ゆとり教育」が奪った「ゆとり」

「ゆとり教育」の中身にも、疑問があります。再三やり玉にあがっている「ゆとり教育」とは、本当に「ゆとり」のあるものだったのでしょうか?

 私が「ゆとり教育」について取材をしたのは05年のことですが、保護者や教員たちは口をそろえてこう言いました。

「『ゆとり教育』が始まった頃から、子どもも教師もまるでゆとりがなくなった」

 取材をしていくうちに、その原因と思われることがいくつか浮かび上がってきました。

 まず授業時間全体は減ったのに小学校3年生以上だと週3時間、中学生になると週2〜4時間の総合学習の時間が始まりました。
 総合学習の内容も問題です。子どもが自分のペースで何かを調べたり、課題について研究したりできるような「ゆとり」のある総合学習を行っている学校はあまりありませんでした。

===
 もちろん中には、ものすごいエネルギーを割いて総合学習を組み立てている教員もいました。でも、それはほんの一握りだったように思います。

 都内のある学校では、保護者の方々からは「自分の点数稼ぎのため、教育委員会に向けたパフォーマンスとして総合学習を利用している教員もいる」と、こんな話も聞きました。
 
 ある教員が「総合学習で自然を学ぶ」として校庭に本格的なビオトープをつくりました。その過程で、「実生活の体験を積ませる」と生徒に建設業者に電話をかけさせ、工事の相談をさせました。
 後日、業者側が工事の日取りや具体的な金額について教員と話し合おうと連絡してきたところ、教員は「あれはただの電話練習。工事の予定は無い」と言ったそうです。

 そのやりとりだけでもびっくりする話ですが、話はまだまだ続きます。
 業者を断った教員は、ショベルカーを自ら操り、校庭に池を掘りました。その周辺にはとある博物館の学芸員とかけあい、絶滅のおそれもある貴重な水草を植え、トンボの飼育を始めたのです。
 ビオトープが完成したときには、大々的な授業参観を実施し、教育委員会からも絶賛を浴びました。

 ・・・が、ビオトープがきれいだったのは束の間。その後、何の手入れもしないまま放置されたビオトープの水草は枯れ、ボウフラの巣になってしまったそうです。

 また、総合学習の時間に地域の著名人を呼んできての講演を行なっていたある学校では、元格闘家が「最近の親子は血を見る機会が足りない」と、殴り合いを勧めたとの話も聞きました。

これらのエピソードは極端な例かもしれませんが、その他の総合学習も「職業体験と称しての市民インタビュー」や地元の有力企業の見学など、「教科学習の時間や学校行事を削ってまでやるほどのことなの?」と思ってしまうものが多かったのを覚えています。

しかも、当時すでに都内の教員たちは教育「改革」の影響を受けていました。管理職への提出書類の増加や学校ごとの数値目標を達成するための努力で手一杯。とても総合学習の内容を考えたりする余裕はありませんでした。

 これは余談になりますが、こうした事情を背景に、子どもたちが大好きなファストフード店やお菓子メーカーが「食育」という名目で、自社の宣伝にもつながるような総合学習を行うようになっていったのは自然のことだったでしょう。
 企業に任せておけば教員は労力を割かずにすみます。子どもたちもビデオやゲームを使い、試食まで出来る「食育」の授業に大喜びです。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2007年06月26日

現実から解離した教育再生会議(4)

image070626.jpg 授業内容の厳選(三割削減)も「ゆとり」には結びつきませんでした。
 たとえ教科書が薄くなっても受験体制が変わらなければ、子どもに教えなければならない内容は減りません。
 それなのに総合学習や学校5日制の導入で授業時間全体が少なくなったのですから、当然「ゆとり」ある授業などできようはずはありません。

 その影響は低学年ほど顕著でした。
 子どもは磁石で砂鉄を集めて遊んだり、ジュースの量を量ったりするなど、生活に密着した遊びを取り入れた授業の中で、理科や算数の基礎を身につけていきます。ところが、そうした「ゆとり」のある授業ができなくなってしまいました。

===
 それに学習は積み重ねです。次に進むためには押さえておかねばならないポイントがあります。「教科書に載らなくなったから」と、省略してしまうとかえって子どもが理解できないことも多く、現場は混乱しました。

 たとえば三割削減した教科書を使うようになった後、こんな話を先生たちから聞きました。

「小数点以下やゼロという数字全体のイメージがつかめないうちに計算方法を習うため、計算はできても数の概念が分からず、小数点以下が読めない子どもがいる」

「機械的に計算することは得意なのに、計算を応用して物を数えたり買い物をしたりすることができない子が増えた」

「基本的な漢字の仕組みが分からず、一昔前なら絶対にあり得ないような漢字の間違いをする」

「『漢字をいくつ覚えたか』ばかり気にするようになって、物語を楽しんだり、登場人物の心情に思いを馳せたりする時間が無くなった」

学力の二極化が進行

 「ゆとり教育」が導入されても、結局は、かつてと同じ内容を短時間で教えなければならなくなっただけです。
 しかも先生たちは忙しくなり、補習授業などもできなくなってしまいました。子どもたちの学習理解度が落ちていくのは当然の結果でした。

 一昔前まではテストの点数分布表は真ん中付近が高いベル型というのが普通でした。ところが「ゆとり教育」導入の頃から、分布表は真ん中がくぼんだM型を描くようになったと先生たちは話していました。

「授業を聞いていれば勉強は分かるもの」というのは昔の話になり、 経済力がなかったり、教育に関心がなかったりする親の子は、早いうちから学ぶことを諦めてしまう傾向が顕著になってきていました。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ