2007年04月の一覧

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2007年04月02日

昇華された“怒り”(5/6)

 朔さんは言います。

「絵も文章も、自分自身を追求する手段。だけど、絵は文章と違う。頭で考えたアイディアを形にしているわけじゃない。生活そのものから描いている。だから行き詰まることもない。今は描くことが楽しいし、毎日が充実している。絵を描く醍醐味を感じているんだ。もし文章を書き続けていたらこうはいかなかったろうね。今頃、死んでいたかもしれない」

 実は朔さん、かつては新聞記者でした。色彩豊かな絵を描くようになったのも取材で出会った芸術家・岡本太郎氏に影響を受けたから。当初は、文筆業の傍ら、鬱積した気持ちをぶつけるために絵を描いていたのです。

===
 ところが戦後、組合活動をしていたことからレッドパージにひっかかり新聞社を追われることになりました。定職のない貧乏生活の中で長編小説『交尾種族』を書き上げたのですが、出版社と折り合いが付かず、自宅を抵当に入れて自費出版することになります。
 どん底の生活の始まりでした。経済的にも精神的にも行き詰まり、壁に頭を打ち付けるほど悩んだと言います。

 そんな朔さんを救ったのは奥様の「家を壊さないで」という言葉と共に手渡した画用紙とクレパス。1960年、50歳のときでした。

 その頃の作品には底なし沼のような苦悩が充ち満ちています。「あまりにも息苦しそうな絵だったから出刃包丁で切り裂いてしまった」(朔さん)という作品も見せてもらいました。
 幾重にも彩られた渦は少しくすんでいます。先の見えない閉塞感や不安感を表しているのでしょうか。それとも自分を見つけられない焦燥感や苛立ちでしょうか。
 かつて朔さんがさまよった生き地獄がどれほど深いものだったのか、ひしひしと伝わってきて、胸が苦しくなってきます。

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2007年04月06日

昇華された“怒り”(6/6)

怒り”とは「他者との関係の維持を求める欲求」

 朔さんの“怒り”が、何に対する、だれに向けた“怒り”なのかは分かりません。本人がけして口にしないからです。
 でも、たったひとつだけ分かることがあります。朔さんのなかの“怒り”は少しずつ変化してきているということです。
 近年の作品には、初期の作品にあった重さがありません。古い作品から順を追って見ていくと、破壊的な雰囲気がじょじょに消え、優しい、包み込むような印象が強まっていきます。
 作品全体の色彩は鮮やかになり、瑞々しさが増しています。スピード感ある線のリズムは生命力に満ち、ほとばしるポジティブなエネルギーを感じさせます。

===
“怒り”はとても大切な感情です。
私たちが自分の身を守るために無くてはならないものですし、“怒り”にむりやりフタをしようとすればうつにもなります。
 IFF相談室顧問の斎藤学は“怒り”についてこんなふうに述べています。

「“怒り”というのは、人間にとって大事な感情です。母親がいなくなると赤ん坊は泣きますが、あれは赤ん坊の“怒り”。“怒り”は他者との関係の維持を求める欲求であり、相手に自分の“必要”さを伝える道具でもあるのです」(『週刊金曜日』2005年5月13日号) 

それでも必要なものが得られなかった場合、“怒り”は“憎しみ”や“恨み”、“あきらめ”へと変化し、破壊的な様相を帯びていきます。

 しかし、もう半世紀近く“怒り”を表している朔さんの絵には“憎しみ”も“恨み”も“あきらめ”も感じません。 
“怒り”は見事に昇華され、破壊とは対照的なところにある命あふれる創造の世界を造り上げています

 朔さんの怒り(=他者との関係の維持を求める欲求)を昇華させたもの・・・。それは何だったのでしょうか。
帰り際、私を送り出してくれる朔さんを暖かく見つめる「S.A.K.U. PROJECT」の眼差しの中に、その答えを見つけた気がしました。

 朔さんの作品は2007年3月19〜30日、東京・日本橋のDIC COLOR SQUARE「迷走する色彩〜hue-meditation〜」で見ることができます。ぜひ足を運んでみてください(HP)。

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昇華された“怒り”(6/6)

怒り”とは「他者との関係の維持を求める欲求」

 朔さんの“怒り”が、何に対する、だれに向けた“怒り”なのかは分かりません。本人がけして口にしないからです。
 でも、たったひとつだけ分かることがあります。朔さんのなかの“怒り”は少しずつ変化してきているということです。
 近年の作品には、初期の作品にあった重さがありません。古い作品から順を追って見ていくと、破壊的な雰囲気がじょじょに消え、優しい、包み込むような印象が強まっていきます。
 作品全体の色彩は鮮やかになり、瑞々しさが増しています。スピード感ある線のリズムは生命力に満ち、ほとばしるポジティブなエネルギーを感じさせます。

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“怒り”はとても大切な感情です。
私たちが自分の身を守るために無くてはならないものですし、“怒り”にむりやりフタをしようとすればうつにもなります。
 IFF相談室顧問の斎藤学は“怒り”についてこんなふうに述べています。

「“怒り”というのは、人間にとって大事な感情です。母親がいなくなると赤ん坊は泣きますが、あれは赤ん坊の“怒り”。“怒り”は他者との関係の維持を求める欲求であり、相手に自分の“必要”さを伝える道具でもあるのです」(『週刊金曜日』2005年5月13日号) 

それでも必要なものが得られなかった場合、“怒り”は“憎しみ”や“恨み”、“あきらめ”へと変化し、破壊的な様相を帯びていきます。

 しかし、もう半世紀近く“怒り”を表している朔さんの絵には“憎しみ”も“恨み”も“あきらめ”も感じません。 
“怒り”は見事に昇華され、破壊とは対照的なところにある命あふれる創造の世界を造り上げています

 朔さんの怒り(=他者との関係の維持を求める欲求)を昇華させたもの・・・。それは何だったのでしょうか。
帰り際、私を送り出してくれる朔さんを暖かく見つめる「S.A.K.U. PROJECT」の眼差しの中に、その答えを見つけた気がしました。

 朔さんの作品は2007年3月19〜30日、東京・日本橋のDIC COLOR SQUARE「迷走する色彩〜hue-meditation〜」で見ることができます。ぜひ足を運んでみてください(HP)。

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2007年04月17日

子どもの権利条約が生きた町(1)

image070417.jpg 先日、愛知県犬山市に行ってきました。名古屋から急行で30分程度のところにある人口7万5千人ほどのベッドタウンで、国宝の犬山城と8メートルもの巨大な出しが繰り出す犬山祭で有名な町です。

 最近、この祭よりも犬山を全国的に有名にした出来事がありました。全国の自治体のなかで犬山だけが、今月24日に行われる文部科学省(文科省)の「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)への不参加を明らかにしたのです。

===
犬山は、1997年から独自の教育改革を行ってきた自治体です。その成果と自信が、今回の不参加の礎となりました。
 そのユニークな取り組みは、たびたびメディアでも取り上げられていました。でも、いまひとつ実感がありませんでした。

 ところが今回、自分の目で見て、耳で聞いてびっくりしました。「子どもの権利条約に基づいた学校づくりが行われれば、犬山みたいになる」という、子どもがキラキラ輝く教育が行われていたのです。
(続く…)

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2007年04月24日

子どもの権利条約が生きた町(2)

子どもの権利条約は、「一人ひとりが自分らしく自律的に生き、そして他人のこともきちんと考えられるような道徳性を備えた人間になる」ことを目的につくられた条約です。
 その目的を達成するため、教育目標(29条)は「人間の尊厳を持った一人ひとりの子どもが、その持てる能力を最大限に発揮できるよう援助すること」。

 この理念は、ブログでも書いたように人格の完成を目指していた「前」教育基本法にも通じるものです(教育基本法「改正」で子どもが育つか)。

 でも、「具体的にはどんなことをすればいいのかよく分からない」そんな声が聞こえそうです。
 そうしたときに「実際に理念を生かしてみたらこうなるよ」と教えてくれるのが、愛知県犬山市の教育です。

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 徹底的に競争を排除し、教育委員会が教師を支えることで、教師がゆとりを持って一人ひとりの子どもに向き合うことを可能にし、子ども同士がお互いを受け入れ、思いやる人間性を育て、結果的に全体の学力が底上げを達成したのです。

 ちょっと話はそれますが、今、全国的に広がる教育改革の主流は、「子どもや教師、学校同士を競わせることで学力アップや経費削減を狙う」という競争原理に基づくもの。
 イギリスのサッチャー政権時代に実施され、すでにイギリスでは「失敗だった」として見直しが始まっている教育改革です。

 1980年代後半から改革を行なってきたイギリスでは、学校間・地域間格差が広がり、教師や子どもの心身症などが増えるだけで、全体の学力アップにもつながらないことが分かってきたのです。

 こうしたタイプの改革の道具に使われるのが(1)習熟度別授業、(2)学校選択制(学校の統廃合)、(3)一斉学力テストなどです。
 
 本日4月24日に全国の自治体で実施される「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)も、もちろんイギリスタイプに属するもの。
 全国学力テストの実施によって、今まで東京など一部の地域で進められてきた教育改革は確実に全国へと広がっていくはずです。

 全国学力テストの問題性を指摘することは後に譲るとして、まずはこのテストへの不参加を貫いた犬山の教育改革をご紹介したいと思います。

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