2006年07月の一覧

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2006年07月03日

奈良放火事件から考える(3/3)

(続き)
image060703.jpg 今の教育基本法に規定されているとおり、教育とは人格の完成(精神的にも肉体的にも調和の取れた創造的な生き方のできる人間)を目指すものです。
 「人間教育」を目的とした教育基本法の理念は、子どもの全人的な発達を保障するためにつくられた子どもの権利条約にも通じます。

 ところが教育基本法「改正」案は違います。すべての子どもの人間としての成長発達を目指す人間教育ではなく、「国に役立つ人材育成」、すなわち国策教育を目指すものです。
 平たく言えば、子どもたちは、ときの政府に都合のよい価値観や道徳を教え込まれる一方、国の発展に役立つエリートだけが優遇される教育へと変わります。ますますエリートへの階段は狭き門になるばかりです。

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 それでなくても、「構造改革」や「自由競争」という名で学校の序列化や子どもの選別が始まっています。さまざまな問題を引き起こしたため、約50年間行われていなかった全国一斉学力テトを再開(07年度より)する方針も固められました。

 公的資金の削減が次々と行われるなかで、親たちには自己決定と自己負担の重責がのしかかっています。教育熱心な親は、学校選びに戦々恐々とし、わが子に少しでも早く勝ち組へのパスポートを握らせようと「これがあなたのため」と言いながら、「愛情」と「善意」でわが子を追い込みます。

 子どもたちは「親に愛されたい」、「親の期待に応えたい」と満身創痍で頑張り、精一杯演技を続けます。けれども一生それを続けられる子どもは少数です。なかには「もう親の期待には応えられない」「自分はなんてダメな人間なのだろう」と感じ、自己破壊や他者破壊へと追い込まれる子どもも出てきます。

 教育基本法が「改正」され、自治体間や学校間、家庭間の格差が広げられていけば、強迫的にエリートへの道を目指す親子と、最初からすべてを諦めて無気力になる親子が増えるでしょう。

 教育基本法「改正」案が継続審議になりました。長男の、人生をかけたメッセージを無駄にしてはなりません。

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2006年07月10日

「社会の問題」としての自殺(1/4)

image060710.jpg 先月15日に自殺対策基本法が成立しました。自殺の防止はもちろんのこと、自殺してしまった人の遺族へのケアやだれもが生き甲斐を持って暮らせる社会の実現を目的とし、年内に施行されることになっています。
 この法律のいちばんの特徴は、自殺を「社会の問題」と位置づけたことです。今まで自殺は「当人が弱いから」など「個人の問題」とされてきましたが、「自殺の背景には様々な社会的要因がある」(基本理念)として、社会的な取り組みを行うことを明言したのです。

 ところで先日、「過酷な業務からうつ病を発症し、働けなくけなくなったのに解雇されたのはおかしい」と会社を訴えている重光由美さん(本人の希望により本名にしています)とお会いしました。

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 某大手電機メーカーに勤務していた重光さんが「抑うつ状態」の診断を受けたのは液晶生産ラインの立ち上げにリーダーとして従事していたときでした。朝8時前から深夜1時頃まで及ぶ勤務、休日出勤、ノルマ、度重なる会議やトラブルの解決・・・。重光さんは定期的に通院する時間さえ取れなかったそうです。
 そんな過剰労働の原因は、コストダウンのための人員と開発期間の削減でした。いずれもそれまでの半分ほどに削られてしまったのです。

 この会社では、重光さんが休職した前後に同じ業務に関わっていた同僚ふたりが自殺しています。社内では、ひとりは皇居の堀に飛び込み、もうひとりは富士樹海で首を吊ったとの噂が広がっています。
 重光さんによると、そのうちのひとりは自宅で包丁を振り回すなど精神的にかなり参っていたということです。見かねた奥さんが上司に仕事を変えてくれるよう頼んでも「ワガママだ」と受け入れてもらえませんでした。後に会社は、「家族の意向で事故死として処理します」と発表したと言います。

 もうひとりについては、会社が事実を隠そうとしているため、詳しいことは分かっていません。何しろ、一般社員は社内回覧の訃報欄でその死を知ったほどです。
 重光さんは「職場の人間はだれも、ふたりがそこまで追いつめられていたとは知りませんでした。おそらく直属の上司くらいしか知らなかったと思います。みんな業務に追われ、自分のことで精一杯。他の人に気を配る余裕なんてありません。私が体調を崩したことも、上司以外は一緒に仕事をしていた人くらいしか気づいてなかったと思います」と、当時を振り返ります。

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2006年07月13日

「社会の問題」としての自殺(2/4)

(続き)
image060713.jpg 本来は労働契約によって、労働の質、条件、時間などが定められています。労働者はそれを超えて働く必要はないのです。
 ところが、リストラや左遷、出世、冷たい視線や上司の叱責と引き替えに、暗黙のうちに強制が課され、過剰労働に追いやられる現実があります。

 重光さんの場合もそうでした。
「これ以上、立ち上げ業務を早めることはできない」
 と上司に報告したところ、上司はすべての部課長宛に
「重光がリーダーを務める業務が最重要課題」
 というメールを送信。他の部課長からも「しっかりしろ」と怒られたそうです。

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 体調を崩し、休んだ重光さんが出社すると、新たに別業務も兼任になっていました。重光さんの体調がさらに悪化したのはそのころからです。睡眠薬と抗うつ剤を必要とするようになったのです。
 驚いたことに、そんな状態の重光さんに上司はさらに別の業務も任せます。倒れて寝込んでいると
「明日の会議は出席できるか?」
 などと電話をかけてきました。そのときの気持ちを重光さんはこう語ります。
「恐怖と絶望で断る気力もなくなっていました。とにかく『はい』としか返事ができなかったのです」

 会社に行くと涙が止まらなくなり、今度は抗不安剤も処方されるようになりました。
 長時間残業者に義務づけられている産業医の検診も毎月のように受けていましたが、状況は変わりませんでした。明らかに悪くなっていく体調を訴え続ける重光さんに、産業医はずっと「問題なし」というA判定をつけ続けたのです。

 重光さんは外部の医者のアドバイスで療養生活に入ることを余儀なくされました。直後は、起きあがることも食べることもできなかったそうです。(続く)

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2006年07月18日

「社会の問題」としての自殺(3/4)

(続き)
image060718.jpg 重光さんは何度か復職を試みますが、そのたびにショックを受けることが続きました。

 たとえば早い時間に出勤すると、上司が「もう治ったのか」と声をかけてきたことがありました。「早朝覚醒で眠れないんです」と答えると「オレだって忙しくて3時間しか寝ていない」と言われたそうです。
 また、半日出勤や責任の少ない仕事などで少しずつ体を慣らしていきたいと告げると、上司は「何もしないでただ席に座っている気か?!」と詰め寄りました。

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 仕方なく産業医に半日出勤の許可を依頼すると「半日出勤の許可を出すと総務が嫌がるから上司に相談して欲しい」と言われました。この産業医は「職場を変えて欲しい」と言った重光さんに「上司が替わるのを待て」とも言ったそうです。

 そんななかで一向に良くならない体調。重光さんが「これは労災ではないか?」と尋ねると上司は激怒。療養中の自宅に「君が労災申請などしたら、会社が倒産して大勢の従業員が路頭に迷うかもしれない」と脅しまがいの電話をかけてきたとか。
 その上司は、休職中の重光さんが事務手続きで会社に行くと、「あ〜、オレも休みたい」と大声を上げたりしたそうです。

 欠勤と休職を続けましたが、昨年、重光さんはとうとう解雇されてしまいました。
 組合からは「働く意欲があれば出勤できるはずだ」と言われました。労働基準監督署にも出向きましたが、相手が大企業であるためか会社側をかばうばかりで「なるべく労災申請をさせないように」と思っていることがありありの対応だったそうです。

「だれも自分の味方になってくれない」ーーそう思った重光さんは、弁護士を立て争うことを決意しました。
裁判に関する詳しい情報) 

 こうした現実が、自殺対策基本法が施行されれば本当に変わるのでしょうか?
 確かに自殺を「社会の問題」としたことは評価に価します。けれども、いったいどんな視点で問題解決をしていくつもりなのでしょう。
 たとえばかつて学校のいじめが問題になったとき、政府は専門家と呼ばれる人たちを集め、研究調査を行い、対策にあたるとしました。けれども、それに基づく抜本的な解決策は立てられないままです。今では子どもたちの世界でのいじめは日常化し、「学校でいじめにあった」と聞いても驚く人はいなくなってしまいました。(続く…)

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2006年07月21日

「社会の問題」としての自殺(4/4)

image060721.jpg どうして重光さんの会社の社員たちは、自殺寸前まで追い込まれている同僚に気づかなかったのでしょう。唯一、窮状を知っていた上司は部下を助けるどころか、部下を追い込むような言動を続けたのでしょう。そして何より、重光さん以外の方々は「自分はこれ以上やれない」とSOSを出すことができなかったのでしょうか?

 AC(アダルト・チルドレン)という言葉は、今では広く一般にも知られています。ACの特徴は、自己評価が低く、周囲からの評価が気になり、周囲の反応に一喜一憂し、頼まれたものを何でも引き受けてしまうなど。アルコール依存症の家族など、機能不全家族で育った子どもがなると言われています。
 では、そのような機能不全家族はどうして生まれるのでしょうか?

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 合理性や効率性が求められる社会では、人とのつながりよりも、その社会で“より高く売れる商品(優秀な子ども、エリート社員など)”であることが重要視されます。
 絶えず競争させられ、生き残りレースに参加させられているので、「だれかとつながる」のではなく「だれかをけ落とす」ことが大事になり、人間的な情緒の交流は失われていきます。
 そうやって個人を犠牲にし、企業を太らせる仕組みが、社会システムとしてつくられています。人々は否応なしに自分や家族の幸せを捨て、自殺した重光さんの同僚のように企業のために生きることを強制されます。

 生き残っていくため、人々は会社での評価や仕事の成果にいちばんの関心を払うようになり、最も大切に考えねばならないはずのパートナーや自分の子どものことは二の次になってしまいます。なかには、緊張を紛らわすためにアルコールに逃げたり、妻子を殴ることで自分を保とうとする人も出てきます。

 そんな機能不全家族で育った子どもは、いつでも周囲の期待通りに生きていこうとし始めます。親に頼るしかない子どもには、ほかに生きる術がないからです。
「個人の問題」を抱えているかのように見える人も、実は社会の犠牲者に他ならないのです。

 機能不全家族で育ち、生きづらさを感じている人へのケアはとても大切です。しかし、そうした個人へのアプローチだけでは「社会の問題」は温存されてしまいます。
 機能不全家族を生み出し、企業や国だけが発展する社会そのものを変えていかなければ、自殺に追い込まれる人はけして減らないでしょう。

 私たちカウンセラーは、極めてプライベートな個人の苦しみや辛さを聞かせていただくことのできる、貴重な立場にいます。そうしたところにいるからこそ見える、個人を犠牲にすることを「よし」としている「社会の問題」を指摘していきたいと思います。

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2006年07月26日

沖縄の休日(1/2)

image060726.jpg 重たい話題が続いていましたので、今回はちょっと一息。

 先日、一足早い夏休みをいただいて沖縄の離島に行ってきました。日本列島のほとんどの地域では冷たい雨が降っていましたが、沖縄地方は台風一過の晴天続き。「気もちがいい」を通り越して「痛い」ほどの太陽が照りつけていました。

 旅のテーマは「何にもしないこと」。朝起きてひと泳ぎしたら、お昼を食べてしばし昼寝。日差しが弱まった頃、また海に出る。夜は泡盛片手に海の見えるテラスで食事・・・。それをただ繰り返し、頭も心もカラッポにして数日間を過ごしました。

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 私が初めて沖縄を訪れたのは94年。以来、10回近く沖縄へと足を運んでいます。世の中には年に5〜6回も沖縄を訪れる「沖縄フリーク」と呼ばれる人々がいるので、けして多い回数ではありませんが、のんびりしたいとき、疲れたとき、心をリセットしたいとき、ひとりになりたいとき、「行きたい!」と思うのは、なぜかいつも沖縄なのです。
 今回の沖縄旅行で出会ったひとり旅の女性も、「休みが取れると、つい沖縄に来てしまうんです。知り合いがいるわけでもなく、マリンスポーツをするわけでもないのに」と言っていました。

 沖縄には「チャンプルー」という料理があります。にがうり(ゴーヤ)などの野菜や豆腐、肉などを炒めた郷土料理です。
 もともとチャンプルーとは、沖縄の方言で「まぜこぜにした」という意味。そこから転じて、なんでもいっしょくたにしてしまうことをチャンプルーと言います。

 琉球時代の日本や中国、韓国、東南アジアの国々との交流、薩摩藩の支配(江戸時代)や日本政府の統治(明治時代)、アメリカ軍統治(第二次世界大戦後)などの関係で、異なるいくつもの文化を受け入れては融合・発展させ、独自のチャンプルー文化を生み出してきた沖縄らしい言葉です。

 そしてまた、チャンプルー文化は度重なる支配や悪税、戦争に苦しまされた沖縄の歴史を物語るものでもあります。
 でもそんな悲しい過去を持ちながらも、沖縄の人たちは、笑い、歌い、踊ることを忘れませんでした。「なんくるないさー(なんとかなるさ)」と言いながら、しなやかに生き抜いてきたのです。
 その力強さに驚いて、かつて島の男性に「もし今、どこかの国が攻めてきたらどうしますか?」と尋ねたことがあります。すると、彼はほんの少しだけ考えこみ、こう答えたのです。
「たぶん、きっとまた三線と太鼓をならして受け入れちゃうだろうね」(続く…)

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2006年07月28日

沖縄の休日(2/2)

(続き)
image060728.jpg 離島など沖縄の地方には、まだまだそうした「なんでも受け入れてくれる」雰囲気が残されているように思います。名前も知らない他人でも、目が合えば席を共にし、話が弾めば泡盛を勧め、盛り上がれば一緒に歌う。そう、「いちゃりばちょーでぇー(会えば兄弟)!」なのです。

 どこのだれかも問いません。今、時間と場所を共有しているというだけで、受け止めてもらえるような空気を感じます。
 そんな優しさ包まれると、体の奥から深呼吸できるようになって、コチコチになった心までがほぐされていきます。思い詰めていたことがあっても「てーげー(アバウト)に考えられるようになる」と言ったらいいでしょうか。

 こうした空気の“もと”になっているのは、やはり「何でも受け入れ合っている」沖縄の人々の関係性ではないでしょうか。

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 今回、泊まった宿のオーナー夫妻は、まさにそんなお二人でした。宿を取り仕切っていたのは、働き者の奥さん。
 ご主人は、一見、いつも奥さんの言うことに従っているように見えます。でも、実は違うのです。お客さんの送迎や食材の準備、掃除など、ご主人がいなければ、とても仕事が回らないことを奥さんはよく知っていて、なんだかんだ言いながらもご主人をとても尊重していました。

 たとえば奥さんは「早い時間から飲み過ぎるのさ!」と毎日、怒っていましたが、夕方には必ず冷えたビールとご主人のマイグラスを用意していました。数日いると、「飲み過ぎる」と奥さんがプリプリするのも、実はご主人の体を心配してのことなのだと分かりました。

 そんな奥さんの気持ちを知ってか、ご主人はあまり言い返しません。でも、ときには「何で指図するか!」と、ケンカになったりもします。だけど、すぐに仲直り。大ゲンカした日も、夕飯どきには愛犬を間に挟んで、ふたり仲良く笑いあっていました。

 腹にためず出し合って、自分を主張しながらも受け入れ合う。ほどよい距離感を保ちながら、お互いを気遣っている。夫妻の醸し出すそんな心地よい雰囲気が宿全体に流れていました。

 たとえ生活が大変でも一緒に生きていく人がいる。飾らなくても、受け入れてくれる人がいる。そうした安心感があるからこそ、てーげーでいられるし、「なんくるないさ」と笑うことができる。
 オーナー夫妻のやりとりを見ながら「そんな人間関係がつくりだす優しい空気こそが、私が沖縄に惹かれる理由なのかもしれない」と、考えた休日でした。

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