赤ちゃん なぜ、ヘイトクライムが日常化しているのか、どうしてたくさんの法律をつくっても障害者差別が無くならないのか。
 置き去りにされた本質的な問題は、どこにあるのでしょうか。

 前々回のブログで紹介した、クローズアップ現代を見ていて胸に刺さった言葉があります。事件が起きた施設に重い知的障害がある息子さんを通わせていた垂水京子さんという方が、ご自身の息子さんについて語った、言葉です。

「心の底から、かわいいなと。何もできないけれども、笑っている顔、どこのイケメンや俳優よりも、私はかわいい。役に立たなくてもいいし、ちゃんと存在しているだけで幸せだと思う。役に立たなくて悪い?」

怒り  たとえば、移民や特定の外国人へのヘイトクライムの影に、自分たちの仕事が奪われる(た)ことへの不満や、優遇政策へのねたみなどが隠れていることはよくあります。

 どんなに頑張っても暮らし向きが良くならず、働いても働いても先の見通しが立たない状況にある労働者が、「外からやってきたあいつらの方がいい思いをするのはおかしい」とねたむ気持ちはよく分かります。
 
「外国人は出て行け!」と言いたくなったりもするでしょう。

 しかし、本質的な問題は「外国人がいること」なのでしょうか。外国人への優遇政策さえ無くなれば、ひとりひとりの生活は上向き、不安の無い将来が訪れるのでしょうか。

 確かに、ちまたにはバリアフリーの建物が増え、ユニバーサルデザインのものが珍しくなくなり、公共交通機関では障害がある人へのサービスが厚くなりました。
 ホテルなどの宿泊施設や行政機関でも、「盲導犬受け入れマーク」を貼ったり、「筆談に応じます」等のお知らせを置くなど、一見すると、日本は障害者に優しい国になったような気もします。

 しかし本質的なところは何も変わってはおらず、逆にいくつもの障害者に関する法律がつくられたこの10数年間で、差別感は増したような気がしてならないのです。

クローズアップ現代を見て

HATE そんな障害者差別について深く考えさせられたのは、昨年7月26日に放送されたNHKのクローズアップ現代を見たときでした。
 殺傷事件からちょうど1年がたったこの日、NHKは「シリーズ障害者殺傷事件の真実  “ヘイトクライム”新たな衝撃」という番組を放送しました。

 番組のテーマは、欧米で増加する人種や民族など、特定のグループへの偏見や差別を起点とするヘイトクライムと、同事件の犯人である元職員の思想の共通を指摘し、「ヘイトクライムは社会を分断する危険性が指摘されている」として差別のない社会をどう実現していくのかを模索するというものでした。

ヘイトクライムが社会を分断する?

 この番組を見て、正直、私は困惑しました。私には「ヘイトクライムが社会を分断する」とは思えなかったからです。

 私には、社会のメインにいる人たちが「すべてを経済合理性で割り切ろう」とせんがために、社会が分断され、差別が助長され、その結果、ヘイトクライムが日常化しているとしか思えません。

 反貧困ネットワーク事務局長で元内閣府参与の湯浅誠さんの著書のタイトルを借用して恐縮ですが、今の社会はちょっと油断すればだれもが困窮者となるような「すべり台社会」です。

 そんな社会でうっぷんをかかえながらも、メイン社会の端っこから滑り落ちないようしがみついている人が増えれば、スケープゴートを見つけてうさばらしをしたいと考える人が増えても当然なのではないでしょうか。

法律 もうすぐ神奈川県相模原市にあった県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、同施設の元職員が侵入して19人を刺殺し、27人に重軽傷を負わせた事件から2年が経とうとしています。

 事件の直後、元職員は「奴をやりました」と最寄りの津久井警察署に出頭し、逮捕後は、「障害者なんていなくなればいい」などの主張を繰り返していました。

 また、その後の調べによって、元職員が犯行前の2月に衆議院議長公邸を訪れ、「障害者は不幸をつくることしかできない。世界経済の活性化のためにも抹殺すべき」として具体的な犯行方法を記した手紙を渡してたり、同僚に「重度障害者安楽死させる」と話したことから退職に追い込まれ、10日ほどの措置入院になったことなども明らかになりました。

 これらが報じられると、「おそるべき優生思想」「命を差別している」といった批判や「精神障害者はやはり危ない」といった声があちこちから上がった一方、元職員に同調するような意見もインターネットの書き込みを中心に拡散し、社会問題となったことはみなさんもよく覚えておられるのではないでしょうか。

少年院 厳罰化の一途をたどっている少年法。こうした流れをつくったのは、2006年に山口県光市で起きた母子殺害事件でした。
 最高裁は、この犯行当時18歳の少年が起こした事件に対し、1審と2審での無期懲役判決を破棄し死刑判決を言い渡しました。

 その後、2009年に当時14歳だった少年が、殺害した小学生男児の首を校門に起き、「酒鬼薔薇聖斗の名で犯行声明文を書くなどした神戸連続児童殺傷事件が起きました。
 それをきっかけに2012年の少年法改正では「16歳以上」だった刑事罰の適用年齢が「14歳以上」に引き下げられ、16歳以上の少年が故意に殺害した場合には、原則、刑事裁判にかける(逆送)ことになりました。

 そして、2016年の佐世保小学生殺傷事件後の2019年の改正では少年院送致の下限年齢が「14歳以上」から「概ね12歳以上」になったのです。

 このような裁判員制度がはじまれば、少年法が厳罰化されていくことは、火を見るよりも明らかでした。
 そして今、それは、まさに現実のものとなりました。

 2016年6月、裁判員制度で初めて、犯行当時18歳だった元少年に死刑判決が確定したのです。

 裁判員制度の導入に向かっていた当時、司法に関わる者の研修に関しても気になる話を耳にしました。

 取材を受けてくれた調査官は「非行につながる環境要因等は簡略化し、『刑事処分相当』との意見を『要にして簡潔に』記すよう求められた」と研修について語りました。

 また、調査官や裁判官・検察官・弁護士の研修を行う最高裁判所司法研修所は「これまで重視されてきた成育歴や素質などの調査記録を証拠とせず、主に法廷での少年の供述内容で判断した方が望ましい」との研究結果をまとめていました。

「市民感覚」を持ち込んだ裁判員制度が始まることでいちばん気になったのは、この10年間、少年による犯罪は激減しているにもかかわらず、「市民感覚」によって厳罰化が続いている少年法への影響でした。

 18・19歳の犯罪も増えてはいません。このように少年による犯罪が減っている理由のひとつとして挙げられるのが「要保護性」を重視した少年法の理念によって、再犯が減っているということです。

 国の根幹であり、「どんな国をつくっていくべきか」という理想と覚悟を示した憲法を「現実に合わせて変えていこう」という考え同様、私が不思議に感じているのは「市民感覚を司法に持ち込む」という考え方です。
 
 その考えを知ったのは、一般市民も裁判員として刑事裁判に参加し、被告が有罪かどうか、有罪だとしたらどのような刑に値するのかどうかを裁判官と一緒に決める裁判員制度が始まるときでした(2009年)。

「憲法9条は守りたいけど人命救助や災害復旧のためには自衛隊が必要」という「憲法と自衛隊」をめぐる調査を目にするたびに、いつも思うのです。

「どうして人命救助や災害復旧をするために自衛隊が必要なのか?」と。

人命救助のための部隊は必要だけど

自衛隊 確かに10年くらい前から日本はとても多くの自然災害に見舞われています。以前なら「震度4」と聞けば「かなり強い地震」という印象を持ちましたが、最近では「震度5」のニュースを聞いても驚かなくなってしまいました。

 あちこちで火山が噴火し、地震の規模は大きくなり、津波や原発への不安も続いています。
 ゲリラ豪雨という言葉が普通になり、長雨や集中豪雨による土砂災害や川の急な増水などでもたくさんの人が犠牲になっています。

 そんな災害が起こるたびに自衛隊が駆けつけ、多くの命を救ってきたことをもちろん私も知っています。人々を救う姿を見ては「こういうプロフェッショナルはやっぱり必要だな」と、いつも強く実感します。

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