自分らしい生き方とは
〜ワークライフバランスとメンタルヘルス

第9回個性を活かす

学校現場での個性の扱われ方

「個性を大事にしよう!」と学校では謳われている。しかし、徒競走の順位付けがなくなったり、テスト結果を成績順に張り出すのを止めたりしたことが話題を呼んだ。

最近は、モンスターペアレントが「子どもの心の傷になるから◯◯は止めさせて」などと訴え、生徒の違いが目立たないように配慮するケースもある。絵や音楽がうまいことや運動能力が長けていること、人がやらないような面白いことを夢中で行うことは個性を育むことにつながるはずだが、勉強が遅れる、差別を助長するきっかけになるなどと横槍が入り、教育現場では「個性を大事に」という割に矛盾が多い。個性尊重という建前の裏で個性に対する評価について、一定の共通概念がないように思える。

ある教科がずば抜けてよくできても他に苦手教科があれば「◯◯ができない子」、「積極的に発言する意欲的な生徒」は「落ち着きのない子」、「マイペースで時間を目一杯使って最後までやり遂げる子」は「要領の悪い子」などと、担任教師次第で個性の評価が大きく変わってしまうことはよくある。

学生時代は思いっきり勉強も運動も本人の持つ学力や才能を伸ばせるだけ伸ばすのが教育の目的だと思うが、日本ではなかなかそうはなってはいない。

他の子にない素晴らしい個性が目立ちすぎると、ときにはいじめの対象になったりする。ダンスが上手な子が学芸会などで皆にもてはやされた後、いじめに遭ったというような話はよく耳にする。そのような環境のなかで育ってきた子どもたちは、どんな個性なら周りに認められるか、目立つ個性なんてないほうがいいのではないかと無意識のうちに考えながら生きている。

海外には成績が優秀であれば飛び級があり、部活をいくつも掛け持ちできたりするし、大人同様に評
価され仕事として報酬が得られたりする国もある。日本は日本特有の縛りによって子どもの才能や個性が十分に伸ばせているとは言い難い。さらにケイタイやスマホで相互監視の社会。

そんな子ども時代を過ごしてきた人間が、成人した途端、自由に伸び伸びと個性を発揮することができるだろうか。

「現代は個性が重要」といわれるわりには、社会は個性を押し込めようとする圧力が働いているように見える。個性や才能が飛躍的に開花すべき時期に見えない圧力で制限されてしまうのは、とても残念なことであり、国にとっても損失だろう。型にはまらない優秀な人材が海外に流れてしまうのは仕方がないのかもしれない。

ビジネスシーンでの個性

就活時、即戦力とコミュニケーション力は重要だが、最後の決め手は個性である。ヒット商品を生み出す独創性や他社に負けない企画力や営業力を期待して、個性的な人材を求める傾向がある。しかし、短い面接時間内で個性などほとんどわからない。

最近は就活のためのネット情報が豊富で、学生はあらゆる質問にも的確に答えられるよう準備してくるため、個性的な返答より無難にまとめる学生が多く、差別化がさらに難しくなっている。個性を重視した結果、多くが無個性に陥るという残念な現状がある。

キラリと光る個性を見出して人事が採用しても、入社後の配属先いかんで、どう評価されるかわからない。常ににこやかで誰とでも気さくに話せる人は、良くいえば「温和で人当たりがいい人」、悪くいえば「本音を出さず人と距離をおく人」、細かいことまできっちりとしないと済まない人は、よく言えば「繊細で責任感のある人」、悪くいえば「神経質で融通の効かない人」。

個性に対する自己評価と他人の評価は一致しているとは限らないし、人によっても評価はバラバラである。職場では、何かの知識や技能が秀でていても、社会人としての一般的・平均的な能力のバランスが悪ければ、人間的な総合評価は低くなる場合があるが、人なんて一長一短あるのは当たり前。ある個性
を悪くいわれても、それはその相手だからその評価になったのであって、他の人なら別の評価をすることもありうる。それほど深刻に悩む必要もないのではないだろうか。

周りから「浮く」こと

個性によっては職場というチームプレーが難しくなり、浮いてしまう場合もある。周りから「浮く」ことは、あまりいい意味では使われない。しかし、周りから浮いてしまう原因は、何か一点が秀でているからではないだろうか。

何かに抜きん出た能力があれば、それ以外は苦手だったり平均以下であることも多いだろう。ただ、平均的な人が多い集団はメリットばかりではない。

平均的で凡庸な人間がたくさんいるよりは、それぞれ突出した能力がある人間が多い方が、相互に刺激しあえるはずだ。ときには、周りに誤解や齟齬を生むこともあるかもしれないが、そのぶつかり合いこそが、新たな事業や商品への付加価値を見出すきっかけになるのではないだろうか。

アップルの創設者であるスティーブ・ジョブズ氏は、強情で放漫で独裁的で人格的にアンバランスな部分があったといわれるが、情熱と構想力とカリスマ性で多くの人を惹きつけ、現在のアップルを成功に導いた。会社を起こし、能力を買って引っ張ってきた人材でも意見があわなくなれば、袂を分かった。尖った個性をその都度発揮し、起業家として思う存分個性を発揮したからこそ、画期的な製品が次々に世に送り出されたのだといえよう。

自分の個性が、どのようにすれば認められるか、どういうポジションなら発揮できるか、見極めることは簡単ではない。時には評価を気にせず突き進んだほうが良い場合もある。あまりに認めてもらえず、人としての尊厳まで脅かされそうな場合には、その環境に身をおくべきではない。個性を生かすのも、殺すのも自分であることを忘れてはいけない。

どんな個性でも認められる社会に

ある男性は小さい頃からひとりで遊んだり本を読んだりするのが好きで無表情であまり愛想がなかったが、自分の意見を話し出すと論理的に流暢に話をするようなタイプだった。親からは「何、いってるんだ」という感じでまともに聞いてもらえず、かわいげがないと話を制止されよく怒られた。学校で先生の間違いを口でやりこめてしまうこともあり、先生からも距離をおかれていた。

大学の理系学部に進学し研究を始めると、どんどん成果を上げていった。実は彼はIQが120以上ある非常に優秀な人間だった。実は彼が優秀すぎて、両親や先生の方が彼の話を受け止められず、大人顔負けの理論を展開する彼が子どもらしくないと気に食わなかったのだ。

大学の研究で認められ社会的にも評価されたが、親や先生からずっと変な子扱いされてきたことが自信を持てない原因になっていた。もし両親や先生に「変な子」と否定的に言われず、「おもしろい発想するね」と肯定的に育てられていたら、もっと才能が開花し、彼の人生も違ったものになっていたかもしれない。

日本は少し変わった人間がいると、変人のレッテルを貼りたがる。わが子を他の子と比べ、その違いを個性として認められない親が増えている。最近は、落ち着きのない子や友達とあまり遊ばない子に対して、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、アスペルガー症候群といった発達障害の疑いをかけるような風潮さえある。

ただ1人で空想に耽りたい子、みんなと違った遊びをしたい子、次の遊びに移るテンポが違う子など単なる個性ではないか。それを異常だと捉えることは個性の排除である。そういった風潮が社会にも反映され、「あの人、アスペっぽい」「メンヘラ(=精神を病んでいる人)」などと普通の会話に登場するようになっている。

「普通」と違った部分を持つ人に敏感に反応するのは、本能的な危機意識かもしれない。情報社会になった今、様々な個性が尊重されるためではなく、個性を排除する風潮を強化するのに情報が使われるのは非常に残念だし、危険なことでもある。

閉塞しつつある社会のなかでワークライフバランスのとれた人生を歩むには、個性を発揮し意欲的に夢を実現するにはどうしたらいいかを考えたほうがいい。

インターネットで情報が増え世界が広がりアクセスも簡単になった分、今いる環境でなかなか認められない個性であっても、別の環境にいけば十分に発揮でき認められるチャンスは十分にある。まず自身が自分の個性をポジティブに捉えること、それを武器にして自分らしい生き方のための一歩を踏み出し続けることではないだろうか。

2014/2/25

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