▼自らを犠牲にして、他人の世話をしたり助けたりする。
まず第一に、自らを犠牲にして他人の世話をしたり助けたりすること。
マザーテレサのように何の報酬も期待しないで目らを犠牲にして他人を助ける、という聖人の境に達っしたというわけではなく、自分の自信のなさから、または不安感から出る行動で、他人からの報酬、たとえばありがたがられるとか、自分が他人にとって必要となることなど無意識のうちに期待しています。
自分が他人にとって尽くてはならないものであると思い込んでしまいます。
目先の愛情にとらわれて他人の世話をしますが、大きな目でみるとその愛情が他人と自分の破壊につながっでいることに気がつきません。
たとえば息子に対する愛情から、なんとか非行の息子を助けようとしてお金をやったり物をやったりして世話をしますが、むしろその行為自体が息子の無責任さを更に促し、長い目で見れば非行を持続させることになり、結局は息子のためにもならないし、自分も家族もみじめになるばかりです。
その結果、愛情どころか憎しみでいっぱいになります。
▼他人の行動・感情・考え方・情況・結果を変えようとして、コントロールしょうとする。
第二に、コ・ディペンデントの人たちは、他人の行動・感情・考え方・情況・結果を変えようとして、コントロールしょうとします。
「あの人はこうあるべきだ、あああるべきだ」となだめたり、怒ったり、頼んだり、罪の意識を植えつけたり、アドバイスしたり、丸め込んだりしてなんとか他人を変えようとコントロールします。
例えばアルコール依存症の夫に「今日はあとビール1本だけにしてね」とか言ってビールをかくしたり、お酒を流しに流してしまったり、何とかして飲むのをやめさせようといろいろ工夫します。
取らなくてもいい他人の行動の責任は十分に取りますが、自分の行動に対しての責任は取りません。
他人の文句を言ったり、他人がどうするべぎかは考えますが、自分がどうしたらいいかということは考えません。
自分が幸福になるにはどうしたらよいかを考えなくて、他人に幸福にしてもらいたいと思っています。